2007年6月30日土曜日

ハンカチ王子商標申請中?

今日の日刊ゲンダイ、ごく小さな記事に目がとまった。それは「ナントカ還元水、登録商標申請者がいた!」と見出しのついた記事。埼玉在住の男性が、3月20日に「ナントカ還元水」という言葉を特許庁に登録商標の申請をしていたことが発覚したという。この言葉、先日自殺した松岡利勝農水相が国会答弁の際に口をついて出た言葉。これにマスコミが飛びつき、流行語になっていた。それをさっそく商標登録申請をする「利に敏い(りにさとい)」男がいたということらしい。その行為を非難しているのではない。ある意味、うらやましい。何が何だかわからないことの多い今の時代、そういった屈託のない行動力(?)も大事なことかもしれない。でも松岡氏が死去したことで、ジョークとして使うことはまかりならぬかもしれない。その男性、今ごろ歯ぎしりをしているのかも--------------------------------------------------------同じ日刊ゲンダイ。別の記事には、「早慶戦 チケット9千枚1時間で売り切れ」早稲田大側のチケット販売が行われたが、たったの一時間で売り切れたという。あとは神宮球場で発売される当日券が少し残っているだけらしい。昨年までは、いかに早慶戦といえども空席が目立っていた。なのに、「ハンカチ王子」こと斎藤佑樹投手の人気はスゴイものだ。ん 「ハンカチ王子」さっそく特許庁のホームページで登録商標の申請状況を検索してみた。すると、あった、あった、「ハンカチ王子」がすでに9件もさすがに、申請した会社や個人名をブログに書くのは憚れるので書かない。大手商社や布製品のメーカーなどが名を連ねていることは確認できた。最も早く申請したのは大手商社で、出願日は昨年の8月22日だった。昨夏の甲子園、早稲田実と駒大苫小牧高の決勝再試合が行われたのは8月21日。ということは、その翌日にちゃっかり申請をしていたということになる。へぇ~、でも斎藤佑樹本人の了承とか必要ないのかな、この場合は?

2007年6月15日金曜日

岩隈と野間口がトレード?

今日の日刊ゲンダイが報じている。楽天・野村克也監督、ある投手の現状を憂えているそうだ。その投手とは、シダックス時代に師弟関係にあった野間口貴彦(関西創価高-創価大中退)のこと。04年、自由枠で「鳴り物入り」で入団をしたものの、はっきり言って「鳴かず飛ばず」状態の野間口。通算成績は5勝6敗で今季は開幕一軍を逃し、背番号も「13」から「33」に格落ちした。ノムさん、そんな野間口を見ていて心配で仕方がない。仮にも最速150kmを投げられる投手、巨大戦力を擁する読売の中で埋没していく姿は見たくない。なにせ有能な選手を「塩漬け」にすることだけには長けている球団だ。だから、野間口を楽天に呼び、自らの手で再生したいと願っている。でも、欲しいといっても、おいそれと簡単に出してくれる選手ではない。いかに実績が出ていなくとも、商売となれば話は別だろう。それに、野間口に見合う楽天の選手とはいったい誰なのか?ノムさんの隠し玉は、なんと岩隈久志(堀越高)だという。一応、楽天のエースと呼ばれているものの、故障がちでパッ!としない状態が続いている。ノムさんは、そんな岩隈が疎ましい。「ほんとにやる気があるのか?」と。だから、岩隈と野間口のトレードを真剣に考えているらしい。・・・・・・・・・・ホントかな?-------------------------------------------------------岩隈久志。99年、ドラフト5位で近鉄に入団した。同じ時、1位は現・オリックス育成選手の宮本大輔(延岡学園高)。2位は現・オリックスの高木康成(静岡高)、そして3位は現・阪神の前田忠節(PL学園高-東洋大)。岩隈、03年いきなり2ケタ勝利(15勝)を挙げたことでまだ未熟ながら、翌年にはいきなりエースの称号を与えられる。その04年も15勝だったが、近鉄バファローズは球団ごと消滅、岩隈はオリックス入りを拒否して楽天に移籍する。 一年目の05年は9勝(15敗)したものの、野村監督が就任した昨年は故障がちで1勝止まりだった。日刊ゲンダイでは、岩隈が故障がちになった理由を、「最も信頼する義父・広橋公寿氏(元・西武)が、ノムさんの監督就任と同時に二軍コーチに格下げされたこと」が遠因ではないかと推測している。たしかに岩隈が調子を落とした時期と符合する。真偽はわからないが、ボクは別の理由を思いつく。それは、近鉄バファローズが岩隈にエースの称号を与える時期が、営業上の理由から拙速に過ぎたように思う。まだまだ下積みの段階に、名誉が与えられると多くの人は勘違いをする。オリックス入りを拒否した時点では、その心理を十分に理解できたけれどそのあとがいけない。近鉄のプロテクトから外れた選手の多くが失意の中で楽天に移籍した同じ時、「おれは楽天に行ってやる特別な立場だ!」といった、傲慢さを当時の岩隈に感じた。その延長線上に今があるように感じる。あくまで私見として。

2007年6月14日木曜日

松山竜平、斎藤佑樹を打つ!

その瞬間、九州国際大・松山竜平(4年・鹿屋中央高)は自分がかぶっていたヘルメットを脱いで、思い切り地面に叩きつけた。----------------------------------------------------全日本大学野球選手権2回戦、九州国際大-早稲田大。0ー2、2点ビハインドで迎えた9回裏。九州国際大、走者一・三塁で同点のチャンス。左打席には、その4番・松山が立った。相手投手は救援で登場したばかりの斎藤佑樹(1年・早稲田実)。松山、カウント2-0と追い込まれた後の3球目、柔らかいバットコントロールで、レフトフェンス直撃の大飛球を放った。三塁走者はもちろん、そして代走で出場していた舛巴義明(ますとも よしあき、3年・日章学園高)も一塁から一気に本塁を狙ったが、間一髪アウト。そのシーンを二塁ベース付近で見ていた松山。ヘルメットを投げ捨てる時の表情は、悔しさに満ちており、地面に当たったヘルメットは、ボールのように大きく跳ねていた。------------------------------------------------------松山竜平。高校・大学時代を通じて、これまで全国大会への出場経験はない。この大会が、自身初めての「全国大会」。だから気合は十分、大会前から明確な目標もあった。組み合わせでは、一回戦を勝利すれば二回戦は早稲田大と当たることは分かっていた。だから、「大学野球と言えば東京六大学。一番注目されるチームをたたいて全国を制したい」(読売新聞)ましてや相手投手は斎藤佑樹、燃えないはずがない。だが快打を放ったものの、同点のホーム直前で走者が憤死し、試合は終わった・・・。松山、試合終了の挨拶後に号泣していた。

2007年6月12日火曜日

ここにいたか、三木悠也(駒苫高)

全日本大学野球選手権が今日から始まった。ボクは東京ドームで行われた【第2試合】東日本国際大-四国学院大、そして【第3試合】関東学院大-金沢学院大の2試合をあらかじめ録画予約していて、今そのビデオを再生している。第3試合、関東学院大・2番打者の名前を聞いて驚いた。三木悠也(1年、駒大苫小牧高)。--------------------------------------------------三木、駒大苫小牧高の主要メンバーだった。田中将大(現・楽天)、本間篤史(亜細亜大1年)、三谷忠央(明治大1年)らとチームメイト。昨年8月20日の早稲田実との決勝戦。結局1-1のまま引き分け再試合になるこのゲーム。その貴重な1点は、8回に三木がバックスクリーンに放った特大本塁打だった。相手投手は、もちろん斎藤佑樹(早稲田大1年)。---------------------------------------------------さて、この試合。金沢学院大の左腕・高橋大輔投手の変則モーションにだいぶ手こずっている様子の三木。一打席目は三振、二打席目はセーフティバントを試みるものの、投手への小飛球に終わった。※三打席目以降の結果は、またいずれ機会があれば・・・。---------------------------------------------------------そして、相対した金沢学院大の高橋大輔投手のこと。三木と高橋、共通点がある。それは甲子園で引き分け再試合を経験していること。この高橋、埼玉・花咲徳栄高出身の、現在は大学3年生。花咲徳栄高といえば2003年のセンバツ。アン投手(現・東芝)を擁する東洋大姫路高との準々決勝引き分け再試合を経験した。花咲徳栄高のエースは福本真史(明治大4年)だったが前日の疲労が激しく、翌日の再試合は2年生投手だった高橋大輔が先発した。だが、好投したものの結局延長10回までもつれ5-6で敗れた。------------------------------------------------------三木悠也にしても、高橋大輔にしても、高校時代から大学に至る現在までの「点と点」がつながることで、一層面白くなる。そんな見方をすると、大学野球って結構面白い。まっ、今日はたまたまビデオを見て、2人のことを思い出したに過ぎないのだけど・・・。

2007年6月11日月曜日

混戦制した田中浩康の一打

「いい加減にしろ~、仲良し倶楽部じゃねぇぞ~」6回裏、ヤクルトの攻撃は二死走者なし。次の打者は9番・石井一久(東京学館浦安高)。直前のイニング、リードしていた3点をあっという間に追いつかれたヤクルト。先発の石井に見切りをつけて、ここは代打が出てくるんだろう、ボクはそう思っていた。ところが、打席に立ったのは石井。その時、空席の目立つ三塁側スタンドに陣取った酔っ払いが叫んだのが、冒頭のヤジだった。結局その石井、三振に終わり直後にベンチに向けてバットを放り投げていた。あまり行儀がよくない。そして7回、ピンチを招いて降板する際も、ベンチに腰かけていた選手たちが遠慮がちに立ち上がり、石井を怖々と迎えていたように見えた。まるで「○○○の王様」のようだった。----------------------------------------------------今年初めてのプロ野球観戦、ヤクルトvs楽天。追いつ追われつのシーソーゲームは、細かいことは抜きにして見てて結構楽しめた。楽  天 000 003 110 =5 ヤクルト 000 030 22X =7 楽天に粘りが出てきたのはよくわかった。でも、中継ぎにもう少し安定感が出ればいいんだろうか。敗戦投手になったのは「危険球退場」した松本輝(熊本工高)。ちょいと、ついていなかった。そしてヤクルト。8回裏、決勝打を放ったのは田中浩康(尽誠学園高-早稲田大)。大学の一年先輩・青木宣親(日向高-早稲田大)が敬遠され、満塁となった後に入った打席だった。自分の前の打者が敬遠されるのは、気分いいわけがない。センターに抜ける強烈なライナーのヒット打ち、一塁をまわったところで、田中は軽く右手を上げガッツポーズを作ってみせた。田中浩康。尽誠学園高時代は98年夏・99年夏の2回甲子園に出場している。98年夏、2年生ながら背番号「4」をつけて出場した大会。一回戦は市立船橋高に12-3で圧勝、二回戦で久保康友(現・ロッテ)を擁する関大一高に3-4で敗れた。関係ないけど、久保がいる関大一高が次の三回戦で対戦したのは埼玉・滑川高。12-1で関大一高が大勝するが、滑川には背番号「2」をつけた捕手兼投手の久保田智之(現・阪神)がいた。この大会、優勝したのは言うまでもなく松坂大輔のいた横浜高。

2007年6月10日日曜日

V9の正遊撃手・黒江透修

再びV9ナインが東京ドームに集ったセレモニーの続き。ショートのポジションに立ったのは黒江透修氏(鹿児島高)。V9時代の正遊撃手は黒江であり、当時からボクはずっと黒江のファンだった。黒江透修。背番号は「5」。当時の三遊間を組んだ相手は当然、長嶋茂雄氏(立教大)。三遊間のゴロ、華麗にさばく長嶋のプレーはあまりに有名。だが、長嶋が捕球できなかったゴロを深くまで追いかけ、捕球後にすぐさま右足を踏ん張り、一塁に送球した黒江のプレーが話題になることはあまりなかった。せいぜい、一塁の王貞治氏(早稲田実)が愚痴った言葉「黒ちゃんの送球はカーブがかかってとりづらい・・・」をマスコミが取り上げたぐらいだった。V9ナインの中では、地味な存在だった。だが、日本シリーズなどの大舞台ではド派手な活躍もした。5番を打ちMVPになったこともある(はず)だ。身長167cm。打撃フォームはヒザを極端に屈め、その小さな身長を一層低くして構える。そしてバットのグリップを握った両コブシは、額(ひたい)の高さにあった。相当に変則フォームだったが、1・3・4番以外の打順はすべてこなして、正遊撃手のポジションを守り続けた。-----------------------------------------------------いまから10年ほど前、ロッテの浦和球場でイースタンの試合を観戦していたことがあった。ネット裏のトイレに行ったところ、隣に立って用を足していたのは、その年だけロッテの二軍監督に就任していた黒江だった。「昔はファンでした」とあいさつしたかった。いや、せめて握手だけでも・・・とも思ったが、場所が場所だけに遠慮した。いまだにそのことを後悔している

2007年6月7日木曜日

佑ちゃんと行く秘湯の旅?

早稲田大・斎藤佑樹投手の4年後を夢想してみました。ボクには、2年前に楽天の行く先を夢に見て、野村克也監督の就任を見事(?)に当てた実績があります(???)さて、斎藤佑樹の4年後は?-------------------------------------------------2011年3月某日、パ・リーグ開幕戦。早稲田大を卒業した斎藤佑樹、仙台にあるデンコードースタジアム(旧称:フルスタ)のマウンドに立っていた。対戦相手は日本ハムファイターズ。昨年、エースとして大車輪の活躍を見せた永井怜(東洋大)を押しのける格好で、斎藤はプロデビュー戦を開幕投手として迎える権利を得た。胸には「JR東日本 LINERS(ライナーズ)」と書かれている。実は楽天、07年5月ごろから再燃したTBSとの攻防戦が決着し、10年のシーズン終了を待ってイーグルスの経営権を放棄して、横浜ベイスターズの経営に専念すること発表していた。併行してプロ野球・オーナー会議では、仙台にフランチャイズを維持することを条件に、楽天の後釜を選定していた。大都市圏と比較して大手企業が少ない東北地方。東北電力など数社の候補が挙がったが、結局JR東日本が継承することに決まった。その決定直後のドラフト会議。過去あった「裏金問題」の反省に立ち、希望枠とかいった制度は廃止され、単純なクジ引きで交渉権を獲得できた。斎藤祐樹投手には4球団から1位指名があったが、結局新設の「JR東日本」が交渉権を得、獲得した。JR東日本ライナーズ。公共性の強い鉄道会社ゆえ、選手に無理を強いることも多い。春と秋の行楽シーズンには、東北6県を一巡して開催する「死のロード」が待っている。その「死のロード」に合わせて、JR主催のパックツアー(野球の観戦チケットとセット)が用意された。「佑ちゃんと行く 東北六県 秘湯の旅」中高年の女性たちから若い女性まで人気を博し、発売前から問い合わせが殺到した。同時発売、佐々木主浩監督(新任)の名を冠したパックツアー「大魔神と行く 東北六県 歓楽街 朝まで飲み歩き」は市場調査の結果、顧客ニーズがないことが判明し中止になっていた。さて、開幕戦の続きです。斎藤佑樹、日本ハム打線を8回まで無得点に抑え、自軍が先制した1点を守り抜いた。最終回に救援で登場したのは、すっかり風格のでてきた田中将大。見事に3者三振に斬ってとり、斎藤のプロ初勝利をアシストした。ちなみに、日本ハム最後の打者は、亜細亜大からドラフト4位で入団したばかりの本間篤史(駒大苫小牧高)。この田中将大vs本間篤史の対決。日本ハムの監督に就任したばかりの、田中幸雄監督の演出も多少あった。※いうまでもなく私の夢想であり、すべてフィクションです。

岡田監督退場と日高の技

阪神・岡田彰布監督(北陽高-早稲田大)、今日のオリックス戦で退場処分を受けた。主審の判定をめぐり暴力行為を働いたのがその理由。岡田さんの退場、現役時代を含めても初めてのことらしい。テレビ「すぽると」で、そのきっかけとなったシーンを見ることができた。8回、阪神の攻撃。鳥谷敬(聖望学園高-早稲田大)が送りバントで一塁に向かおうとした際、一塁側に上った小飛球を追いかけたオリックスの捕手・日高剛(九州国際大付高)ともつれたことが守備妨害と判定された。ベンチを飛び出した岡田さん、「(鳥谷と日高)どっちがぶつかっていったか誰が見ても分かるやろ」と叫んで谷主審の胸を突いた。--------------------------------------------------------------どう見たって、鳥谷の守備妨害ではなく日高のテクニックに思えた。小飛球に間に合いそうもないと判断した瞬間、日高は瞬時に鳥谷の足にぶつかって行ったんじゃなかろうか。まさに、「技あり!」のプレーだった・・・日高剛。オリックスの正捕手を長年務めている。でも、いつから正捕手の座を射止めたか分からなかったので調べてみた。95年、ドラフト3位でオリックスに入団。最初の2年間は出場経験がなかったが、チームの先輩捕手・中嶋聡(秋田・鷹巣農林高)が西武にFA移籍したことを契機に正捕手の座に就いた。もちろん現在もその座を守り続けている。現在にいたるまで、ライバルは多く現れた。三輪隆(関東一高-明治大)、的山哲也(兵庫・福崎高)など。そのたび、持ち前のパンチのある打撃とディフェンス力で勝ちぬいた。

2007年6月5日火曜日

「メリーちゃん」渡辺秀武

めちゃめちゃ久しぶりにこの名前に出会った。その名前は、渡辺秀武(静岡・富士高)。今日は神楽坂で痛飲して、いい加減酔っ払って電車に乗った。右手にはいつもの愛読紙「日刊ゲンダイ」。ほとんど眠い目をこすりながら、大好きな連載企画「松坂大輔物語」(第51回)を読んでいた。その記事中、いきなり渡辺秀武という名前が目に飛び込んできて、一気に目が覚めたおぉ~、なんと何と懐かしい名前だ!記事を要約するとこうだ。松坂大輔が横浜高2年生のころ、プロ野球のスカウトがしょっちゅうグラウンドにやってきては松坂を注目していた。直球の速さもさることながら、スライダーも切れている。でも、春頃にはそれ以外の球種がなかったのに、半年後カーブを自在に操る松坂を見て、そのスカウトは尋常じゃないセンスに驚嘆する。「プロの投手だって新しい球種をマスターするのに一年の時間を要するのに、この高校生は半年間で完全にマスターしている!」と。そのスカウトこそ、当時の広島カープ・関東地区担当だった渡辺秀武氏。------------------------------------------------------懐かしい名前だ。読売の黄金時代、ボクは近鉄ファンだったけど、セ・リーグは人並みに読売ファンだった。その当時、渡辺秀武氏は大車輪の活躍を見せていた。70年にはノーヒットノーランを達成し、堀内恒夫(甲府工高)や高橋一三(広島・北川工高)らとともに読売の躍進を牽引していた。でも、身体の大きさとは裏腹に「やさしい性格」だったため、当時の寮長・武宮敏明氏が渡辺に名づけたニックネームが「メリーちゃん」。wikipediaによると、「メリーちゃん」というニックネームがついたものの、当時は「通算与死球日本記録保持者」という一面もあったという。新記録を達成したのは対阪神戦、打者は吉竹春樹(九州産高)だった。試合前、与死球のタイ記録保持者だったが、「この試合で記録の更新(=新記録)を狙う」と公言し、その餌食になったのが吉竹。驚くことに、新記録を狙うためにわざと当てにいったこの試合、実は渡辺の引退試合だったらしい。自身の引退試合で、不名誉な「通算与死球」の新記録を狙うなんて尋常じゃない。が、「メリーちゃん」などと、本人にとって好ましくないニックネームを戴いた渡辺にとって、汚名返上のためにも自ら仕掛けた行為なんだろう。ボクは勝手にその心理を推測した。余談だけど、以降この記録を塗り替えたのは東尾修(箕島高)。こちらは「さもありなん」と容易に納得できる。

2007年6月3日日曜日

斎藤へのボクの認識変遷を

今日、早慶戦の第3戦が行われた。結果は7-2で早稲田大が勝利し、完全優勝を決めた。今日の登板はなかったが、早稲田大・斎藤佑樹(早稲田実)は4勝0敗の実績を認められ、ベスト9<投手部門>に選ばれた。一年生ながら投手部門で選ばれるのは、極めて異例らしい。----------------------------------------------------昨夏の甲子園以来、斎藤佑樹(早稲田実)のことを何度も書いてきた。この春季リーグが始まるまで、ボクは斎藤という投手がいったいどんな実力の持ち主なのか、よくわからなかった。昨夏の甲子園から現在に至る10ヶ月間の「ハンカチ王子」こと斎藤佑樹のことを、このブログを通して振り返ってみる。題して「勝手に振り返る、ハンカチ王子の10ヶ月間!」(1)昨夏、甲子園の決勝戦を書いた。【決勝、互いに譲らず引き分け再試合へ。駒大苫小牧vs早稲田実】 (2006.8.20)この頃、ボクは斎藤よりも駒大苫小牧高・田中将大(現・楽天)に興味があった。一方の早稲田実、ホークスの王貞治監督の病気入院とセットで報じられることが多くて違和感があった。「王さんにとっても、早稲田実にとっても迷惑じゃないの?」と。(2)プロ入りに気持ちが傾く斎藤佑樹に家族会議が開かれる。【早実・斎藤家の家族会議をテレビが生中継したら面白い】(2006.9.6)この頃、「ハンカチ」人気が過熱の一方。そんなとき、プロに行くか進学するかの家族会議が開かれるという報道が相次いだ。「本当にプロに行ける実力があるの?」とダイレクトに書くのは憚れるような世の中の空気があった。だからボクの疑問を斎藤のお父さんに代わりに言わせたのが、この日のブログ。(3)早稲田大に進学を決め、入学前から練習に参加していた斎藤が風邪でダウン。翌日はスポーツ紙の一面でそのことが扱われる。【風邪で一面に登場できる人】(2007.2.11)斎藤人気は、その実力が評価されてのことではなく、あくまで営業上の、いわば「オトナ」の事情で仕立てられたアイドルではないの? と思って書いたのがこのブログ。風邪をひいて一面に登場できるのは、斉藤とそのころ来日していたチリ人妻のアニータ・アルバラードぐらいだろ、と皮肉ってみた。(4)春季リーグ開幕、対東大戦の開幕投手は斎藤佑樹。【斉藤佑樹、開幕登板!】(2007.4.14)いかに東大が相手でも、一年生投手が開幕戦に登場するとは?早稲田大・應武篤良監督がテレビ局やらの「営業上の」圧力に屈したのかしらん? なんて思ってしまった。 (5)対法大戦。たまたまボクはネット裏で斉藤投手の投球を見ていた。【斉藤佑樹が見せた安定感】(2007.4.30)正直言って、この時から斎藤に対してのボクの見方は変わった。法政相手に、こういった安定した投球ができるのかと!そして立教戦、明治戦にも好投を続ける斎藤。(6)明治大・謝敷正吾(1年・大阪桐蔭高)を三振に斬ってとる変化球も素晴らしかった。【斎藤佑樹と謝敷正吾、再び】(2007.5.21)----------------------------------------------------------そして今週、慶應義塾大を相手に勝ち投手になり4勝目を挙げた。一般的に、プロに行ってからから伸びるのは「荒削りな投手」だと聞く。そのほうが「伸びシロ」を期待できるからだという。その伝でいくと楽天に入団した田中将大などは適例だと思う。一方の斎藤佑樹はどうだろう? その辺にまだ疑問が残る。直球も速いし、多彩な変化球も頭脳もある。ある意味、すでに完成された感のあるこの投手は、プロに行った後どんな「伸びシロ」が期待できるのだろう?いや、今のままでも十分にプロで通用するのかな?

2007年6月2日土曜日

早慶戦、慶應義塾大が先勝!

東京六大学野球、早稲田大-慶應義塾大1回戦。今日、早稲田が勝てば優勝が決まる大事な試合、NHKテレビで観戦をした。勝敗の分かれ目は、やはり3回表・慶應義塾大の攻撃時にあった。一死で走者を二塁において宮田泰成(4年・東北高)、走者・加藤幹典(4年・川和高)の進塁をアシストする二塁ゴロ。普通であれば捕球した二塁手は、走者の進塁は許して、堅実に一塁へ送球するはずだ。が、早稲田大・上本博紀(3年・広陵高)は、捕球後すばやく三塁に送球した。結果、走者の足が一歩速くセーフ(記録は野選)、走者は一・三塁に。マウンドでは、早稲田大・先発の須田幸太(3年・土浦湖北高)が童顔を引きつらせていた。たぶん、このプレーが慶應の攻撃に勢いを与え、早稲田にとっては取り返しのつかない判断ミスとなってしまった。3番・梶本大輔(2年・西条高)に四球を与え満塁に。そして、今季2本の満塁本塁打を放ち「満塁男」の異名をとる4番・佐藤翔(4年・秋田高)が打席に。カウント2-1と追い込むが死球を与え、押し出しで1点。続く5番・青山寛史(1年・関西学院高)が三遊間をゴロで抜ける左前打で1点追加、スコア2-0。極めつけは6番・松橋克史(4年・竜ヶ崎一高)の走者一掃の右中間への三塁打。低めに落ちる変化球にうまく合わせて右中間へ打球を運ぶ、技ありの打撃。松橋、三塁ベースに駆け込むのが早いか、両手でハデなガッツポーズをし、雄叫びをあげていた。上本の小さなミスを起点に、一気にスコアを5-0と拡げた慶應、これで勝負を決めた。そして慶應、続きがある。それは青池悠五(4年・静岡高)の打撃のこと。6回、内角高めの直球を強引に叩くパワーヒッティングで左翼スタンドに本塁打。ダイヤモンドを一周しベンチに戻った後は大騒ぎ! 仲間たちと何度も何度もハイタッチを繰り返していた。そして8回には、遅い変化球に腰を泳がせながらバットを合わせて適時打を放った。たしか、先日の対明治大戦。青池、三振を喫して最後の打者になった。直後、悔しさのあまり(?)打席の土を思い切り蹴り上げていた姿を思い出した。

2007年5月31日木曜日

仁村徹と牛島和彦の妙な縁?

第3回目の今日は、上尾高vs川越工高。<決勝>1979年7月30日 大宮県営球場川越工 000 000 000 =0上 尾 000 100 000 =1上尾高のエースは、右横手投げの技巧派・仁村徹。東洋大を経て中日に入団、その後投手から二塁手に転向し、野手として活躍した「仁村弟」のこと。現在は中日のスカウトをしている。この仁村、直球は120kmと速くないが落ちるシュートとカーブを得意とし、絶妙のコントロールを武器にしていた。後ろで守っている野手は、捕手が構えたコースを見ると打球の方向が予測できるほど、仁村のコントロールは正確だった。この大会中、仁村は54イニングを投げ、与四死球3、42イニング連続無失点という驚異的な記録を残した。優勝を決めた上尾高の野本喜一郎監督(故人)、「長かった一年だった」と語り、涙を流したという。この野本氏の言葉には理由がある。前年の78年、野球部員3年生の二人が不祥事を起こし、半年間の対外試合禁止の処分を受けていたのだ。普通ならモチベーションが落ちる状況で、選手たちは一日も休まず練習し、単調になりがちな紅白戦を丹念に繰り返した。その試練の末に掴んだ「甲子園行きの切符」、喜びもひとしおだったに違いない。上尾高の主将は福田治夫氏、現在は桐生一高野球部の監督をされている。------------------------------------------------------エース・仁村徹を擁する上尾高、甲子園の初戦で牛島和彦や「ドカベン」こと香川伸行のいる大阪・浪商高と対戦。9回まで2-0とリードしながら、勝利目前で牛島に同点の2点本塁打を打たれ、延長戦の末に敗退した。この仁村と牛島、不思議な縁がある。それは仁村の入団一年目(84年)のこと。初登板初勝利を挙げた時、救援で登場して仁村の初勝利をアシストしたのは、仁村から甲子園での勝利を奪った牛島和彦、その人だった。

2007年5月27日日曜日

法政大、中京大中京トリオ

東京六大学野球、明治大-法政大2回戦。昨日の1回戦に引き続き、明治大が勝利。「逆転V」に僅かだが希望を残した。そのためには、来週行われる早慶戦で慶應義塾大が早稲田大に連勝することが必須の条件となる。今日の試合、優勝の望みはないものの、最後に一矢報いたい法政大はエース・平野貴志(桐蔭学園高)が久しぶりに先発した。だが平野、どうにも落ち着かない。初回早々に1点を失い、なおも満塁のピンチで打席に謝敷正吾(大阪桐蔭高)を迎える。平野が投げたのは、外に逃げる変化球。それを謝敷はきれいに左中間へ弾き返し、走者一掃の二塁打を放つ。事実上、勝負はこの時に決まった。この春季リーグ、法政大にとっては何も良いことはなくシーズンを終えた-------------------------------------------------この対明治大2回戦。法政大のメンバーには、3人の中京大中京高OBたちがいた。渡辺哲郎(4年)、伊藤暢啓(3年)、亀谷信吾(2年)。渡辺哲郎、02年センバツで捕手として、甲子園に出場している。エースは中根慎一郎(慶応義塾大-三菱重工名古屋)、そして二塁を守っていたのは現・楽天ルーキー捕手の嶋基宏(國学院大-楽天)。豪華メンバーだが、一回戦で西村健太朗(現・読売)を擁する広陵高に完封負けを喫した。そして伊藤暢啓と亀谷信吾、一緒に04年夏の甲子園に出場している。一回戦で明豊高、二回戦で浦和学院高を破り、三回戦では静岡・東海大翔洋高に苦しみながら逆転勝ちをした。調べてみると、その試合後の伊藤暢啓主将のコメントがあった。「せめてアイツにいい報告がしたかった。だから勝ててよかった」と。アイツとは亀谷信吾のこと。主軸だった亀谷、大会中に発熱し一時は入院。退院後も「球場に入ってはいけない」とドクターストップがかかり宿舎のテレビで仲間のプレーを見守っていた。この時の中京大中京、結局準々決勝で済美高に敗れる。済美の投手は、現・早稲田大の福井優也だった。

2007年5月25日金曜日

Vへ明大・行田がダメ押し打

東京六大学野球、明治大-法政大1回戦。結果は、明治大が7-3で法政大を破った。わずかながら優勝の可能性を残す明治。今日明日の法政戦で連勝し、かつ来週行われる早慶戦で慶應が早稲田に連勝すると、明治に優勝の可能性が生まれる。一方の法政、先週の慶應戦にも連敗し、すでに4位が確定している。投手陣もエース・平野貴志(桐蔭学園高)を欠いており、チームの目標もない、投げる投手もいない状態だ。有り体にいえば、まだ目標があるチームと、ないチームの差がハッキリと出た今日の試合だった。明治、試合を決めたのは7回裏。特に4-0と点差を広げ、なおも満塁の好機に4番・行田篤史(遊学館高)が走者一掃の二塁打を放ちダメを押した。---------------------------------------------------行田(ぎょうだ)篤史。高校時代、02年夏と03年センバツの2度、甲子園に出場している。ちなみに当時、遊学館高のエースは現・阪神の小嶋達也(大阪ガス)。02年夏の甲子園に出場したとき、行田は2年生。大会第6日・第1試合の対桐生市商高(群馬)戦では、夏の大会通算1000本目となる「記念本塁打」を記録した記念本塁打も放ち、勢いを加速する遊学館打線。桐生市商高を8-3、三回戦の対興誠高(静岡)を8-4で破りベスト8に進出したが、準々決勝で現・日本ハムの鎌倉健投手を擁する川之江高に完封負けを喫した。※この大会、本塁打を放ちながら、惜しくも一本違いで999号になってしまったのは、瀬間仲ノルベルト(日章学園)だった。----------------------------------------------------さて、今日の行田。終盤の守備は草野球並みだった。8回は一塁への平凡なファールフライを落球、そして9回には一塁ゴロの打球を、打球方向とは逆に身体が反応するチグハグなプレーも披露し、失点してしまった試合後のインタビューでは、「明日こそ、今日のような無駄な失点をする試合はしたくない。もういちど優勝を信じて引き締めないと」と、バツの悪そうな表情で話していた。

2007年5月23日水曜日

消えた年金、消された裏金問題

いま新聞やテレビは大騒ぎだ。それは「消えた年金」問題。年金受給者への支給漏れが生じている事件。その数、約5000万件に上る。該当者は申告が必要らしいが、ただでさえわかりずらい年金制度。自分がその該当者だと認識している人は、いったいどれだけいるのだろう? そして野球界を揺るがす「裏金問題」専大北上の再加盟認める=夏の岩手大会出場へ-高野連(時事)野球部を解散させた岩手・専大北上高が6月1日付で再加盟を認められることになったという。この点に関しては、まずはよかった。そもそも西武の裏金に端を発したこの問題。専大北上高が野球部解散に追い込まれ、いつの間にか高校野球の「特待生問題」に発展した。そして全国各地の春季大会では出場辞退や、高校と特待生の契約解除が行われるなど、あらぬ方向に事件は向かっていた、問題の本質はベールに隠されたまま・・・。この「裏金問題」の本質は、高校野球をやっている選手たちにあるというより、プロ球団はもちろん、優れた選手をエサにして「甘い汁」を吸おうとする指導者、ブローカーやタニマチ風情のオトナたちにこそある。なのに、その点を避けて、現役野球部員たちに出場辞退や特待生取消などの罰を課しただけで終息しそうな気配だ。根来泰周コミッショナー代行は、毎度のとおりアクションを起こすわけがないし、西武に調査結果の公表を求めるアマチュア野球団体にしても、とりあえずのポーズに過ぎないのだろう。公表されて一番困るのは、この人たちの近隣の人たちなのかも知れないから。

2007年5月20日日曜日

滑川総合、日大三高に惜敗【詳報】

今日、春季関東大会2日目(2回戦)を観戦した。第二試合は、埼玉・滑川総合高-東京・日大三高。滑川総 010 002 000 =3日大三 000 220 00X =4投手:【滑川】内田-照井【日大】上松-宮田滑川総合高、特待生問題に揺れた埼玉県大会を優勝。準決勝では、優勝候補の一角を占める春日部共栄高を3-1で破っての出場だ。応援団はおらず、野球部員の父母しかいない日大三高。一方の滑川にはブラスバンドを含めた大応援団が・・・。滑川の先発は背番号「10」の内田、日大三高は「11」の上松。日大三高・エースの池田は昨日登板したこともあり、今日は一塁を守った。両チームの投手にとって困難を極めたのは、主審の厳しい判定だ。左右の厳しいコーナーへの球は、ことごとく「ボール」と判定されたこと。カウントを整えることに双方とも苦労したようだった。さて、ゲーム内容。先制を許した日大三は4回、2番・田中洋の左翼越え二塁打を皮切りに、4番・池田、6番・岡の適時打で2点を得点し逆転。続く5回、走者を一・三塁に置いて2番・田中洋が打席に。外野手はタッチアップに備えて前進する。だが、その前進守備を嘲笑うかのように、田中洋の打球は外野のはるか頭上を越える二塁打を放ち、二者を迎え入れて4点目を加点した。(スコア1-4)滑川も黙っちゃいない、6回表の攻撃。走者一・三塁で、途中出場の照井が中前打。続く9番・安藤も中前打を放ち3-4。あと1点差に迫り、なおも無死満塁のチャンスが続く。打者は代打の北村。北村が叩きつけた打球は、高いバウンドで二遊間を抜けるように見えたが、遊撃手の田中洋がまわりこんで好捕。二塁へトスして、滑川のチャンスは潰えた。---------------------------------------------------------滑川総合高のOBには、阪神の久保田智之(当時・滑川高)がいる。そして日大三高には、このブログに書いたばかりの故・根本陸夫氏がいた。

2007年5月17日木曜日

山崎武司、一試合3発だ!

もっか2冠の大砲・山崎武司(愛工大名電高)。今日の日ハム戦、田中幸雄の2000本安打を放った記念試合で、3本の本塁打を打って楽天の勝利に大きく貢献、同率4位に浮上した。今日の山崎、4番に座り1打席目は、正田樹(桐生一高)とのトレードで移籍した金澤健人(磯原高)からレフトスタンドへ2点本塁打。2打席目も同じ金沢からレフトスタンドへソロ、そして3打席目は、伊藤剛(日大明誠高)から、またもやレフトスタンドに2点本塁打。まさに乗りに乗っている「中年の星」のような存在だタイミングよく、今日の日刊ゲンダイは山崎のことを大きく取り上げていた。若手選手の育成に熱心であり、挨拶しないとか、声が小さいといった基本的なことに対して、遠慮なく叱責。選手やコーチから人望も厚く、野村克也監督からも一目置かれる存在だそうだ。何やら無骨なイメージも漂うが、趣味はミニカー集めとラジコンカー。ミニカーは現在4000台を収集し、名古屋の自宅には16畳のおもちゃ部屋を作っている。ラジコンカーの同好者は、中日時代のチームメイト・山本昌(日大藤沢高)。二人で苗字からとった「山山杯」という冠をつけたレースも主催している。いいことづくめのように見える山崎、でも心配事がある。それは食事のことだ。「魚や野菜を摂とうと思っても、どうしても肉を真っ先に食べてしまう」。実は、オリックス時代から単身赴任が続いている。自宅は名古屋。一男一女をもうけたが二人とも小学校の高学年。今さら仙台に転校させるのは可哀想だと考えている。だから、今後も単身赴任を続ける覚悟だ。昨日書いた亀井義行や坪井智哉のように、「子供が物心つくまでがんばるぞ!」という目標は、山崎においてはすでに達成できているようだ。

2007年5月15日火曜日

山崎武司、一試合3発だ!

もっか2冠の大砲・山崎武司(愛工大名電高)。今日の日ハム戦、田中幸雄の2000本安打を放った記念試合で、3本の本塁打を打って楽天の勝利に大きく貢献、同率4位に浮上した。今日の山崎、4番に座り1打席目は、正田樹(桐生一高)とのトレードで移籍した金澤健人(磯原高)からレフトスタンドへ2点本塁打。2打席目も同じ金沢からレフトスタンドへソロ、そして3打席目は、伊藤剛(日大明誠高)から、またもやレフトスタンドに2点本塁打。まさに乗りに乗っている「中年の星」のような存在だタイミングよく、今日の日刊ゲンダイは山崎のことを大きく取り上げていた。若手選手の育成に熱心であり、挨拶しないとか、声が小さいといった基本的なことに対して、遠慮なく叱責。選手やコーチから人望も厚く、野村克也監督からも一目置かれる存在だそうだ。何やら無骨なイメージも漂うが、趣味はミニカー集めとラジコンカー。ミニカーは現在4000台を収集し、名古屋の自宅には16畳のおもちゃ部屋を作っている。ラジコンカーの同好者は、中日時代のチームメイト・山本昌(日大藤沢高)。二人で苗字からとった「山山杯」という冠をつけたレースも主催している。いいことづくめのように見える山崎、でも心配事がある。それは食事のことだ。「魚や野菜を摂とうと思っても、どうしても肉を真っ先に食べてしまう」。実は、オリックス時代から単身赴任が続いている。自宅は名古屋。一男一女をもうけたが二人とも小学校の高学年。今さら仙台に転校させるのは可哀想だと考えている。だから、今後も単身赴任を続ける覚悟だ。昨日書いた亀井義行や坪井智哉のように、「子供が物心つくまでがんばるぞ!」という目標は、山崎においてはすでに達成できているようだ。

2007年5月13日日曜日

野球

今季より読売に移籍した小笠原道大
さっそく、自身のニックネームをなぞった「チームガッツ」
を結成したようだ。

メンバーは元日ハムであり、現在は読売の選手の
古城茂幸(中央学院高-国士舘大-日本ハム-読売)、
実松一成(佐賀学園高-日本ハム-読売)、
木村拓也(宮崎南高-日本ハム-広島-読売)の3人。

                 (サンケイスポーツ)

でも、「チームガッツ」。
元祖は別にあった。

そのことを日刊ゲンダイが報じている。
小笠原を徹底的にサポートし、小笠原自身が心底信じきれる
スタッフが日ハムにいたのだという。トレーナーであり、
打撃投手であり...。その面々が元祖「チームガッツ」

それは誰なんだろう?
スタッフの名前を知りたくて調べてみたけど、結局わからな
かった涙ぽろり

小笠原が読売に移籍する直前、多くの新聞は「中日に移籍する
ようだ」と書いていた。それは落合博満監督との師弟関係が強
力だったから。

恒例により「札束攻勢」の読売へ対抗のため一計を案じた落合氏、
結局は敗れたが、日ハムの「チームガッツ」スタッフたち全員を
中日に受け入れることさえも考えたという。

小笠原が読売を選択した理由は金銭面だとか、子供の教育問題を
心配する奥さんの意向だとか、いろんな報道があった。真偽は
どうでもいいけど、今後は元祖「チームガッツ」を恋しくなること
はないのだろうか。他人事ながら、ちょいと気になる。

小笠原道大
高校は千葉・暁星国際高。高校2年の時、夏の千葉大会決勝に進出
したが、勝利し優勝したのは成田高。成田が甲子園に進出した。

この甲子園大会。
成田高は2回戦で、この大会で優勝する天理高に2-3で敗れるが、
後にスターとなる選手が多く出場した大会だった。

イチロー(愛工大名電高・2年)、松井秀喜(星稜高・1年)、
中村紀洋(渋谷高・2年)、北川博敏(大宮東高・3年)etc...

当時話題をさらっていたのは、優勝した天理高・南竜次(元・日本ハム)、
育英高・戎信行(元・ヤクルト)らだった。

2007年5月10日木曜日

楽天-西武はルーキー対決

昨日行われた楽天-西武戦。投手は、楽天・永井怜(東京農大二高-東洋大)と西武・岸孝之(宮城・名取北高-東北学院大)のルーキー対決。結果は永井が5回を投げ自責点3、岸は7回を投げ自責点5と、2人ともパッとしなかったようだ。ゲームのスコアも9-8と大荒れだった。すでに2勝を挙げている永井怜、大学入学当時は「プロ野球のドラフトで指名されるようになるとは思いもしなかった」。國学院大も専修大もセレクションに落ちてしまい、スポーツ推薦ではなく一般の自己推薦で東洋大に入学した経歴をもつ。もともとスタミナに課題があった。でも少しだけ自信を持つようになったのは、2年生の春季リーグ戦。対日本大戦で延長11回をひとりで投げ抜き、那須野巧(駒場学園高、現・横浜)の連勝記録を「10」でストップさせたときだ。一方の岸孝之、こちらは今季すでに3勝を挙げている。名取北高という無名校にいた岸、東北学院大に入学した経緯にはちょっとしたエピソードがある。それは高校3年の夏、宮城県大会1回戦。相手は多賀城高。実はこの高校の選手として、東北学院大・菅井徳雄監督の息子さんが出場していた。せめて息子の最後の試合は応援に行こうと考えた菅井監督、息子のチームを5回ながらノーヒット・ノーランに抑える名取北高の岸という投手を知る契機になる。菅井監督、その足で名取北高を訪ねて岸に「スポーツ推薦でぜひ!」と頼み込んだ。もし、菅井監督が球場に来なかったら、そしてもし名取北高に足を運ぶ偶然が重ならなかったら、西武ライオンズ・岸孝之はいなかったのかもしれない。ちなみに、岸のノーヒット・ノーラン。死球を1つ与えたがために完全試合にはならなかった。その死球、与えた相手は偶然にも菅井監督の息子さんだった。※参考:『アマチュア野球 Vol9』(日刊スポーツ出版社刊)

2007年5月9日水曜日

意外に愉快な男、真中満

ヤクルト・真中満(宇都宮学園高-日本大)という男を、ボクは大いに誤解していた。真面目にコツコツ練習を繰り返す「練習の虫」であり、「イブシ銀」的な存在感は、彼のそういった所作が反映しているものとばかり思っていた。でも、それは事実じゃないことを教えてくれたのは愛読紙の「日刊ゲンダイ」。小見出しからしてスゴイ。「チーム一(いち)の練習嫌い」だ。「大」がつくほどの練習嫌いであり、性格は「超」がつくほどの能天気。昨年、スタメンから外れ「代打屋」に活躍の場を求める崖っぷちにいるはずの真中、まるで悲壮感とか切迫感がない。その能天気ゆえにチームに欠かすこととのできないムードメーカーなんだそうな。今年の沖縄キャンプ、ある日の練習は、午前11時半に自分だけ勝手に切り上げても、平然としている。そしてオープン戦。ひとりだけベンチから外に出て、日焼けを楽しむこともあった。でも真中のスゴイのは、そのあと。突然に代打を告げられると、やおら立ち上がりベンチ手前で2回だけ素振りをすると、打席では簡単に適時二塁打を打つ離れ業を平然とやってしまう。チームメイトでは密かに「天才」と呼ばれているらしい。「卓越した能力をもつ打撃力」というのではない。何も練習をしないのに、試合で結果を出すことがその理由。イチロー(愛工大名電高)やチームメイトの青木宣親(日向高-早稲田大)のように、表だって万人から「天才」と崇められる選手と違い、「密かに」「天才」と呼ばれるのは、いかにも真中らしいと言えるかもしれない。真中、家庭では3児の父である。末っ子は産まれたばかりの、初めての女の子で「かわいいのなんの」(本人談)。そして、その娘のオムツ替えを嬉々としてやっているそうだ。

2007年5月6日日曜日

村田、吉村のアベック弾!

今日の横浜-中日戦。横浜は福岡・東福岡高出身の村田修一(日本大)と吉村裕基が、今季2度目のアベック弾で2連敗中だったチームを救った。村田、吉村がアベック弾 東福岡高出身 最近、プロ野球選手を多く輩出する東福岡高。日本ハムの田中賢介も同校の出身、98年夏は1年生ながら村田と一緒に甲子園に出場した。---------------------------------------------------------村田修一。98年のセンバツと夏、甲子園に出場している。センバツの3回戦では、松坂大輔(現・レッドソックス)を擁する横浜高と対戦、0-3で敗れた。そして夏、1回戦で豊田大谷高に4-6で敗戦。豊田大谷高には、現在ベイスターズでチームメイトの古木克明がいた。吉村裕基。01年センバツで甲子園に出場。2回戦で広陵高、3回戦で近藤一樹投手(現・オリックス)を擁する日大三高に勝利したものの、準々決勝で常総学院高に2-4で敗れた。---------------------------------------------------------そして今日、勝利投手となった土肥義弘(春日部共栄高-プリンスホテル-西武)。高校時代、93年の夏に2年生エースとして甲子園に出場した。準々決勝で川上憲伸(明治大-現・中日)がエースの徳島商高に11-4で勝利。続く準決勝では常総学院高を5-3で破った。常総には、現・日ハムの金子誠がいた。決勝は、兵庫・育英高に2-3で惜敗。育英高の3番打者は、現・ホークスの大村直之がいた。

2007年5月5日土曜日

浦和学院高、なぜか敗退?

【春季県大会 準決勝 大宮県営球場 (07年5月4日)】第1試合 浦和学院高vs富士見高。富士見 000 000 400 =4浦和学 010 000 000 =1試合前のスタメン発表。浦和学院高のスタメン発表の時、スタンドの観客からざわめきが起きた。選手名とともに出身中学をアナウンスするのが恒例だが、ベンチ入りの浦和学院の選手は、東京や神奈川、遠くは北海道出身の選手もいた。いま世の中を騒がせている「特待生制度」。埼玉の私立強豪校の多くは「特待生制度がありました」と申告をしているが、埼玉強豪校の最高峰にいる浦和学院は申告をしていない。だから、スタンドのざわめきを意訳するとこうなる。「そんなに全国から選手を集めておいて、ほんとに特待生制度をやっていないのかよ?」と。埼玉というところ、もともとが公立高びいきの土地柄である。いま話題の特待生問題はその意識に拍車をかける。浦和学院の相手は公立の富士見高。ネット裏に大挙押しかけた高校野球ファンの多くは、富士見の応援に偏っているように見えた。ボクからすれば、個々の学校が特待生制度をやってるかどうかは、まるで興味がない。そんなことより、純粋に高校野球の観戦を楽しみたいし、どうせなら5月下旬に開催される関東大会を勝ち抜ける実力をもった高校に埼玉で優勝してほしいと思う。それなのに今日のゲーム。どうも浦和学院のナインに元気がないように見えた。すっかり前置きが長くなってしまった。試合の詳細は後ほど。

2007年5月3日木曜日

逆転劇の立役者、森野将彦

試合の終了後、大逆転劇の主役、やけに目鼻立ちの整った顔立ちの中日・森野将彦(東海大相模高)がお立ち台に上がった。試合の流れからいって、読売が勝つはずだった。1-1で迎えた8回表に一挙4点を入れたのだから。8回表、読売の攻撃を振り返ると---。二死一・二塁で代打・木村拓也は三遊間をゴロで抜ける左前安打を打つ。二塁走者の小笠原道大は三塁を駆け抜け、本塁に激走。今季、左翼を守る機会の多い森野は懸命に前進。捕球後すぐさま、左足で本塁をブロックしながら待ち受ける捕手・小田幸平を目がけて必死の送球をする。タイミングは微妙だったが、森野の送球がわずかに一塁側に逸れて間一髪の「セーフ」。これで均衡は破れ、なおも鈴木尚広、矢野謙次、高橋由伸の三連打で、このイニングに4点を加点した。中日、スコアが1-5と4点差がついた8回裏。福留孝介の犠飛で1点を返し、なおも一死一・三塁の好機。森野は読売・林昌範投手が投げた真中に入るスライダーを叩き、右翼スタンドに同点となる3点本塁打を放った。勢いに乗る中日は9回、二死一・二塁で、ウッズが前進守備の右中間を越える安打を放ち、サヨナラ勝ちを決めた。----------------------------------------------------------森野将彦。ボクがこの名前を覚えたのは、つい最近のこと。昨年9月16日、山本昌(日大藤沢高)がノーヒットノーランを達成した時だ。この試合、1つの失策さえなければ「完全試合」だった。その唯一の失策、三塁を守っていた森野がやってしまった。その、山本昌から完全試合を奪った選手として、森野の名がボクの記憶に残った。さて今季、キャンプの時から三塁手定着を目指した。が、中村紀洋が中日に育成選手として入団。いきなり現れた強敵に三塁を奪われ、森野は外野に追いやられてしまう。さらに、自分が外野に入った影響で、尊敬する井上一樹(鹿児島商高)が二軍落ちすることになってしまった(←日刊ゲンダイより)。森野、中村紀洋からポジションを奪うためには打撃で勝つしかない。今日のサヨナラ打も、ウッズではなく森野までまわればよかった。

2007年5月1日火曜日

口下手じゃけぇ、長内孝

日刊ゲンダイの伝統企画「あの人は今」に、元・広島カープの長内孝氏(桐蔭学園高)が登場していた。思い出すのは、その温和そうな表情と裏腹に、鋭い打球を放つスラッガーだったということ。93年に現役を引退、05年に広島のコーチを退いた後は、広島市西区に焼鳥屋「野球鳥おさない」を開いている。でも、まだまだ接客には慣れていない様子。客が店を訪れたときの「いらっしゃい」という声も、どこか遠慮がち。------------------------------------------------------日刊ゲンダイの記者がそのことを訊ねると、「口下手じゃけぇ」、そんな言葉が返ってきた。「もともと口下手じゃけぇ、家族からも大丈夫かいな?と心配されました。お客さんにうまいこといえんし、自分でもどうなるんじゃろうなぁってとこがあった。でも稼がにゃいけんけぇ」。どこか心もとない、自信なさげな物言い。実はプロの世界に入ったころも、自信をもてない日々が続いた。とにかく球の速さに驚いた。まるでボールがバットに当たらないのだ。山本浩二(広島商高-法政大)には、「スイングがぶち遅いのぉ、ハエが止まりよる」と、ボロクソに言われたこともある。コーチからは、1日に1000スイングを命じられた。「言われたことを守りんさい」と。その言葉を信じ、長内氏は黙々とバットを振り続けた。-------------------------------------------------------スタメンに定着したのは、入団から8年が経過した83年、加藤英司(PL学園高-松下電器)の病気欠場がきっかけだった。が、それもつかの間、直後にルーキー・小早川毅彦(PL学園高-法政大)が台頭し、再びスタメンを外れる悲哀を経験、「代打屋」に活躍の場を求めた時期もあった。そして、91年。銚子利夫(市立銚子高-法政大)とのトレードにより、大洋(現・横浜に移籍した。もっと活躍できる素材だったかもしれない。「未完の大器」とも言われたが、未完のままに現役を終えた感もある。長内さん、最後に日刊ゲンダイの記者氏に「まだまだ新しい仕事には慣れていないけど、息子が高校時代に焼き鳥屋でアルバイトしとって、この世界では先輩になる。頼りにしとります」といって微笑んだそうだ。

2007年4月28日土曜日

法政敗退も大器・武内久士

東京六大学野球、第3週 法政大vs早稲田大の1回戦。先発は法政大・小松剛(3年・室戸高)、早稲田大・須田幸太(3年・土浦湖北高)。今季、投手陣に調子のない法政にとって、小松の踏ん張りがどうしても必要。一方の須田も、本来エース格のはずが東大との開幕戦、開幕投手を斉藤佑樹(1年・早稲田実)に奪われ、忸怩たる思いを抱いている(ハズ)。結果は法政打線を完封で抑え、須田が勝利投手となった。小松は2回に上本博紀(3年・広陵高)、5回は田中幸長(4年・宇和島東)にそれぞれ適時打を浴び、2点を失って7イニングでマウンドを降りた。テレビ解説の立教大・斉藤章児元監督のコメントでは、「小松君の課題は変化球の制球力」。--------------------------------------------------------余談だが、実況は上重聡(PL学園高-立教大-読売グループ※)。ピンチを迎えた投手の心理を、上重アナは解説の斉藤氏に尋ねた。すかさず斉藤氏、「上重さんはどう思います?」とオウム返し。予想外の切り返しに「開き直ることですね」と慌てて答えていた。どうやら、上重アナが立教大在学時の監督は解説の斉藤氏だったようだ(上重アナもやりずらいだろうな・・・)。※読売グループでは、選手や監督でもグループ内異動があるらしい。原監督が以前更迭された時も「グループ内異動」とナベツネさんはのたまわった。ゆえに、上重アナの巨人軍への人事異動もあるかも!?---------------------------------------------------------このゲーム、ボクが興味をもったのは法政大の2番手投手で登場した武内久士(2年・徳島城東高)。とにかく直球が速い。ふつうに150kmは出る。ただ、左足を上げた瞬間に上体がのけ反るような変則モーション。したがって制球がどうにも定まらず、「四球」を与えるか「(ボールを振らせて)三振」を奪うか、どちらかがハッキリしている。調べると、その速球が注目され、高校時代からプロのスカウトたちが武内目当てに押しかけていたそうだ。身長185cm、体重87kg、大きな体躯も魅力のひとつだ。この武内、高校3年の夏の徳島大会の戦績は調べられなかった。だが、この時に優勝したのは鳴門工高。甲子園では準々決勝まで進み、田中将大本間篤史を擁する駒大苫小牧高(のちに優勝)に敗れた。ついでにいうと、鳴門工高が甲子園の2回戦で対戦した香川・丸亀城西高のエース兼4番打者は、法政大の3番手投手で登板した藤田卓だった。

2007年4月25日水曜日

実名公表と隠蔽の不公平

じゃぁ、専大北上高早稲田大清水勝仁選手は何だったんだ、同様に、秋田経法大付高(現・明桜高)、東京ガス、木村雄太は何だったんだ?↓この記事を見てそう思った。西武調査委が最終報告=アマチュア関係者の実名公表せず-西武裏金問題今日の西武の記者会見。不適切なスカウト活動にかかわった球団関係者の実名は公表したものの、球団が金銭を渡したとされる高校、大学、社会人野球の監督ら延べ170人のアマチュア関係者や、契約金の前渡しなどの名目で裏金を渡していたアマチュア5選手などの実名は公表されなかった。その理由は、「個人を取り上げあるいは糾弾することは目的でなく、同様の問題の再発防止が主たる目的」だかららしい。だったら、この事件が発覚した際に真っ先に公表された、上記の2選手は何だったんだろう? 単純にそんな疑問にぶち当たる。まさか、その時は「個人を糾弾することが目的」だったのではあるまいに。

2007年4月22日日曜日

増渕、出場選手登録抹消

ヤクルトのルーキー・増渕竜義(鷲宮高)。残念ながら今日、出場選手登録を抹消された。22日の中日戦で5回4失点と、これまで14回1/3を投げて0勝1敗、防御率6.91と結果が出ていなかった。(スポーツナビ)そっかぁ~、残念だ昨日のゲームのことをブログに書こうなんて思っていたら、こんなことになってしまった。ライバルと意識する楽天・田中将大に、初白星は先を越されたけれど、まだまだ先は長い。焦らずに、じっくりと鍛えてほしい。遅かれ早かれ、キミはプロ野球界を背負って立つ男だ!

2007年4月21日土曜日

埼玉高校野球と明治大

【東京六大学野球】第2週 明治大vs東京大明治大 8-0 東京大明治大・水田裕(4年・愛知啓成高)、8回を投げ1安打ピッチング。東京大に圧勝した。さて、スコアとは別に注目したことがあった。埼玉高校野球の卒業生たち3人の名が、ズラリと並んでいたからだ。(※東京六大学野球HPより↓)-----------------------------------------------------[2] 田島一憲 (3年・聖望学園高) [H] 福本真史(4年・花咲徳栄高) [R] 山口将司 (1年・春日部共栄高) -----------------------------------------------------田島一憲。03年夏の甲子園、2年生の田島は背番号「12」をつけて出場。一回戦の香川西高戦を17-4で圧勝。続く二回戦は天理高を7-3で下したが、三回戦で江の川高に1-2で惜敗した。福本真史。03年センバツ。エースとして花咲徳栄高を引張る福本。準々決勝まで勝ち進み、アン投手(現・東芝)を擁する東洋大姫路高と引き分け再試合の熱闘を演じた。そして山口将司。まだ一年生ながら、代走で登場したようだ。山口、まだ2年生だったが、番号「14」を背につけて05年夏に甲子園に出場している。一回戦で相対したのは大阪桐蔭高。相手エースは辻内崇伸(現・読売)。当時も春日部共栄高のメンバー、ほかに鶴岡賢二郎(現・日体大)、射手矢大輔(現・共栄大)やプロ注目の斉藤彰吾(現・同校3年)らもいた。さて、この山口。昨夏も甲子園のキップに手が届きかけたが、埼玉県予選の準々決勝で、増渕竜義(現・ヤクルト)を擁する鷲宮高にサヨナラ負けした。※このゲームの内容はこちら

2007年4月20日金曜日

突然ヒーローに、狩野恵輔

今日の阪神ー読売戦。延長にもつれたこのゲームは、思わぬ伏兵の一打でケリがついた。延長12回、この回にやっと4-4の同点に追いついた阪神。なおも二死満塁とチャンスが続き、代打で背番号「99」をつけた狩野恵輔(前橋工高)が打席に立った。相手投手は豊田清(鈴鹿高-同朋大-西武)。その豊田が2球目に投げたフォークを振りぬいた打球、左翼線にライナーで飛び、グラウンドに転がった。狩野、プロ入り7年目にしての初安打がサヨナラ安打となり、伝統の一戦に決着をつけた。----------------------------------------------------狩野恵輔(かのう けいすけ)。ポジションは捕手(兼外野手)。昨年までの6年間の通算成績は、出場試合数5、7打数0安打。前橋工高3年の時、夏の大会で4本のホームランを打った。どうやら、その4本が群馬県予選の大会記録になっているようだが、甲子園出場はなかった。同じ群馬の同期生には、一場靖弘(桐生一高-明治大-楽天)や大廣翔治(桐生一高-東洋大-楽天)らがいる。そして前橋工高の先輩には、現阪神のスカウト・佐野仙好氏(中央大-阪神)がいる。雑誌『野球小僧』(白夜書房)では、狩野を次のように紹介している。「昨年はウエスタンで首位打者を獲得した「ポスト矢野」の最有力候補。今年は飛躍の予感、最初のチャンスを生かす心意気で」。まさに、チャンスを十二分に生かした格好だ。

2007年4月19日木曜日

突然ヒーローに、狩野恵輔

今日の阪神ー読売戦。延長にもつれたこのゲームは、思わぬ伏兵の一打でケリがついた。延長12回、この回にやっと4-4の同点に追いついた阪神。なおも二死満塁とチャンスが続き、代打で背番号「99」をつけた狩野恵輔(前橋工高)が打席に立った。相手投手は豊田清(鈴鹿高-同朋大-西武)。その豊田が2球目に投げたフォークを振りぬいた打球、左翼線にライナーで飛び、グラウンドに転がった。狩野、プロ入り7年目にしての初安打がサヨナラ安打となり、伝統の一戦に決着をつけた。----------------------------------------------------狩野恵輔(かのう けいすけ)。ポジションは捕手(兼外野手)。昨年までの6年間の通算成績は、出場試合数5、7打数0安打。前橋工高3年の時、夏の大会で4本のホームランを打った。どうやら、その4本が群馬県予選の大会記録になっているようだが、甲子園出場はなかった。同じ群馬の同期生には、一場靖弘(桐生一高-明治大-楽天)や大廣翔治(桐生一高-東洋大-楽天)らがいる。そして前橋工高の先輩には、現阪神のスカウト・佐野仙好氏(中央大-阪神)がいる。雑誌『野球小僧』(白夜書房)では、狩野を次のように紹介している。「昨年はウエスタンで首位打者を獲得した「ポスト矢野」の最有力候補。今年は飛躍の予感、最初のチャンスを生かす心意気で」。まさに、チャンスを十二分に生かした格好だ。

朝井秀樹も田中に続き勝利!

今日2000試合出場したヤクルト・古田敦也監督が、記念すべきそのゲームで暴言を吐き退場処分になった。あっ、いや。言いたかったのはそのことではない。もっと大きな事件があった。なんと、楽天がホークス相手に3連勝をしてしまったらしい...のだ。これは大事件だ。------------------------------------------------------先発は昨年阪神から移籍した牧野塁(山梨学院大付高-オリックス-阪神)。※牧野塁からリンクをはっているブログのゲームに、牧野投手が登板しており、そのすぐ後に楽天に移籍になりました。そして2番手で登板したのは朝井秀樹(PL学園高-近鉄)。4回と1/3を無失点に抑え勝利投手になった。この朝井、近鉄時代からずっとカーブを持ち味とした「期待の若手右腕」と呼ばれている。でもそれでいて、一軍と二軍を行ったり来たりを繰り返し、なかなか実績を作れないでいる。これまでの通算成績は、29試合、4勝10敗、防御率5.03。朝井、今日の勝利(今季初勝利)は通算5勝目となった。これも一昨日の永井怜(東農大二高-東洋大)、そして昨日の田中将大(駒大苫小牧高)ら新人コンビの活躍が大いに刺激になったのだろう。--------------------------------------------------------楽天、これで今季10勝目。球団創設3年目で初の本拠地同一カード3連勝というおまけもついた。一昨年は10勝するのに48試合かかったが、昨年は37試合、今年は21試合で到達。楽天の着実な前進を印象づける3連戦となった。(スポーツナビ)---------------------------------------------------------- 次々にヒーローが登場する楽天。今年はひょとしたら、ひょっとするかも知れない。野村監督、「投手が1人でも2人でもほしいときに救世主が出てくれると大きい」と喜んだ。

2007年4月17日火曜日

増渕竜義、4・15全記録

いつか見ようと思っていた増渕竜義、対読売戦のビデオ。さっそく今、ビデオ観戦している。4月15日、東京ドーム。【注目するのは、増渕vs読売打線】≪1回裏≫■1番・高橋由伸■3球続けて外角を狙い3球三振に。3球目のサインの交換では、捕手・福川将和のサインに何度も首を横に振り、投げた球はシュートだった。■2番・谷佳知■(そういえば、この人も読売に移籍したんだっけ)外角を狙った難しい球に、谷がうまく合わせて右翼前へ安打。解説の堀内恒夫氏によれば、「増渕は右打者の外角を狙うとき、シュート回転するのでそれが増渕の課題かも」と言っていた。■3番・小笠原道大■内角低めに投げた、これも難しい球を狙い澄ましたように右翼へ。だが球の威力につまったようで平凡なフライに終わる。■4番・イスンヨプ■真中に入ったフォークが、右翼手の左を抜ける二塁打に。堀内さんは言う。「増渕、すごいですよ。カウント1-3からフォークを投げています」■5番・二岡智宏■真ん中へ投げた直球、二岡がうまく合わせたが中飛。≪2回裏≫■6番・阿部慎之助■変化球が乱れ気味に見え、カウント0-3になったが直球を打たせ平凡な左飛に。■7番・脇谷亮太■カウント1-1から直球を投げ二ゴロ。■8番・ホリンズ■フィニッシュを力んでしまい直球が外れ四球。■9番・高橋尚成■増渕の投球を見て堀内さん、しみじみ語った。「この投手、良くなりますねぇ」。「投手として軸になる球を持っていることと、多彩な変化球がある。あと必要なのは経験ですね」。カウント2-1から投げた直球は二飛に。≪3回裏≫■1番・高橋由伸■初球を右腕に死球。■2番・谷佳知■送りバント。■3番・小笠原道大■初球、変化球が大きくすっぽ抜ける。3球目、外角へのシュートを極められる。カウント0-3から、外角高めの球を強引に中前打。■4番・イスンヨプ■増渕、力みはじめる。制球がままならない。高校時代も増渕のこういう場面を見たように思う。そして外角低めに落ちるフォーク。イスンヨプはただすくい上げただけなのに、打球は左翼スタンドに。「あの球を本塁打なら仕方がない」(堀内さん)■5番・二岡智宏■真ん中低めへの落ちる球、ゴロで中前安打。■6番・阿部慎之助■ど真ん中への直球を芯で捕らえられ、今度は右翼スタンドへ本塁打。■7番・脇谷亮太■堀内さんは「逆球が多くなった。なぜ左打者にシュートを使わないのだろ?」と指摘。外角へ投げた直球は三ゴロに。何でもない当たりだったが、三塁手・飯原誉士が一塁へ悪送球。■8番・ホリンズ■スライダーが真ん中に入り、左翼スタンドに本塁打。      ------ここで投手交代------増渕、本日の記録3回1/3、打者17、被安打7、被本塁打3、与四死球2、奪三振1、失点7「でも悲観することはないです。いいボールを持ってます。あとは組立を考えてて、上のステージに行ける投手」。堀内さん、そう言って今日の増渕を締めくくった。

2007年4月16日月曜日

楽天・永井と嶋の学生時代

楽天、珍しくホークスに勝利した。勝利投手は、プロ初先発・初勝利の永井怜(東農大二高-東洋大)。先日も西武戦で実績を残したが、今日は初めて先発し初勝利をもぎとった。女房役は嶋基宏(中京大中京高-國学院大)。この2人、今でこそチームメイトだが、昨秋の東都大学リーグでは覇権を争って対戦をしている。それは昨年9月2日。まだ一部入りしたばかりの國学院大vs東洋大1回戦。東洋大先発の永井は完投したものの、敗戦投手になっている。相対した5番・捕手で出場していた嶋、永井との対戦成績は3打数1安打だった。翌日の2回戦も相対したが、東洋大は継投しており、3番手で放った永井と嶋の戦績は不明。楽天イーグルスのサイトによると、嶋の「今までの野球人生の思い出の試合」は、大学4年の春の入れ替え戦の1部昇格をきめた試合、らしい。

2007年4月13日金曜日

東都野球連盟・事務局長

明日、いや今日、東京六大学野球の春季リーグが開幕する。日本テレビでは、早稲田大-東京大のゲームを地上波で放送予定らしい。引き金になった早稲田の斉藤佑樹もベンチ入りし、中継ぎで登板する可能性があるらしいから、ぜひ見てみたい。東京六大学リーグ、久々に盛り上がるか? テレビをつけた瞬間、スタンドに観客が溢れていたら、ボクはぶっ飛んでしまいそうだ。一方、開幕した途端に横浜・那須野巧の裏金事件が勃発した東都大学リーグ。母校である日本大・鈴木博識監督にも金銭授受があったとかいう疑惑まで持ち上がった。すぐさま、東都大学野球連盟は全日本大学野球連盟に対し、調査報告書を上申した。今日の日刊ゲンダイによると、上申後に開いた会見における東都リーグの白鳥正志事務局長のコメントが面白い。「もう(この問題は)これで終わりだ。フフフ・・・」。ちょっと信じられないが、調査報告書をまとめて上部団体の全日本大学野球連盟に報告書を提出したのだから、この問題はもう終わりにしましょう、フフフ・・・といった意味らしい。野球界は「裏金問題」でプロ野球、社会人野球、大学野球、高校野球、シニア・リトルに至るまで大騒ぎである。どこまで事実が明らかにされるのか、もしくは蓋をされるのか。この大狂騒曲、しばらく終わりそうもない。

2007年4月12日木曜日

専大北上だけ、なぜ処分?

横浜球団と那須野巧(駒場学園高-日本大)に絡む「裏金」事件。昨夜は恩師でもある日本大・鈴木博識監督も3千万円を受け取ったとの情報が流れたが、今日になり那須野も鈴木監督も、その報道を否定した。そうですか!?いや、それよりボクは岩手・専大北上高の処分が気になる。西武球団の早稲田大・清水勝仁への裏金事件に端を発して、清水の出身校である専大北上高への処分が来週発表されることになった。そのため、今日は専大北上高関係者たちが大阪にある高野連を訪ね、事情説明を行った。説明を受けた高野連・田名部和裕参事は、「これまで入手していた内容と合わせ、ほぼ全容がつかめた。除名とは言わないが、それに値する」との談話を発表。除名にあたる処分とは何ぞや?長期間にわたる公式戦出場停止だろうか?だとすれば、現役の野球部員たちはどうなるんだ?ボクの故郷は専大北上高のある岩手県。星のかずほどある全国の高校の中で、なぜ専大北上だけが処分を受けるはめになるのか、まるで腑に落ちない。この専大北上高、地元では強豪校のひとつ。ヤクルトの畠山和洋や梶本勇介らを輩出している。だが、ボクが専大北上高で思い出すのは、72年のセンバツ。エース・畠山司を擁して甲子園で(たしか)2勝した。当時の岩手代表校が甲子園で勝つことは極めて稀であり、2勝するなど空前絶後の、まさに「事件」だった。あの緑色をベースにしたユニフォーム、また早く見れることを祈りつつ。

2007年4月9日月曜日

楽天・永井と東都大学開幕

一昨日の楽天-西武戦。楽天が1-4で西武の新エース・涌井秀章(横浜高)を相手に敗れたが、成果もあった。それは、ルーキー・永井怜(東京農大二高-東洋大)の好投。3番手で登板し、3イニングを被安打0、無失点に抑えた。同じ日、永井が昨年までプレーし続けた東都大学リーグが開幕した。ボクの注目は、まだ1年生の亜細亜大・本間篤史(駒大苫小牧高)。いうまでもなく、高校時代は超高校級のスラッガーとして鳴らした。一軍クラスが参加するキャンプには呼ばれなかったが、しっかりと開幕カードのスタメンに名を連ねた。打順は8番、ポジションは左翼手。この気軽に打てる打順が功を奏したか、一昨日の開幕戦は4打数1安打、昨日が3打数1安打と、まずまずの成績でスタートを切れた。そういえば。今でこそクリーンアップの一角にデンと座る中田亮二(2年・明徳義塾高)。昨年は下位打線に下げられることがあった。そんな時、中田は監督に直訴したという話を聞いたことがある。「こんな打順ではやる気がでない。主軸を打たせてほしい」。中田、当時はまだ1年生だった。が、監督は直訴に従い、翌日に3番に打順を変更したという逸話がある。言った選手もすごいが、監督も偉い。ボクの知る限り、中田は実績をちゃんと残している。本間も監督に直訴してみてはどうだろう。8番なんてイヤだ。4番を打たせてほしい、と。ま、結果の保証はないけれど。

2007年4月7日土曜日

斉藤佑樹オープン戦2勝目

早稲田大・斉藤祐樹投手が、オープン戦の最終ゲームである対JFE東日本戦に4番手で登板し、勝利投手となり2勝目を挙げた。実際には同点で迎えた8回に1イニングを投げただけ。その回を無難に抑え、直後に味方打線が追加点を挙げて、勝利投手の権利が転がり込んだ格好だ。運も実力の内。今日の継投がどうだったのかわからないけど、先月31日に行われた社会人対抗戦。対かずさマジック戦では、早稲田のポイントとなる投手たちの継投が見られたようだ。須田幸太(3年・土浦湖北高)が先発し、辻哲史(4年・上宮高)、大前佑輔(2年・社高)、松下建太(2年・明徳義塾高)斉藤佑樹(1年・早稲田実)、福井優也(1年・済美高)。高校野球の世界では、それぞれ名を成した精鋭ばかりである。決して早稲田を応援しているわけじゃないけど、14日の開幕が楽しみだ。--------------------------------------------------------※かずさマジックのコーチに、元ロッテの初芝清氏が就任しているようだ。

2007年4月5日木曜日

ファンあってのプロ野球

夕方、たまたまNHKテレビを見た。琴冠佑(ことかんゆう)という力士がいた。最も遅い出世で新十両に昇進し、昨秋40歳7か月で引退した。現役力士では45歳の序二段・一ノ矢に次ぐ最年長だった。出世の遅い力士ゆえ目立つ存在ではなく、もちろんファンもいなかった。そんな琴冠佑が新聞に紹介された記事を偶然に読んだ読者のひとりがファンになった。広島に住む栗栖晶(くりす・あきら)さんがその人。知的・身体的障害をもつ、この30歳の青年が強力な味方になり琴冠佑にいつも手紙を綴り、琴冠佑に勇気を送りつづけた。一方の琴冠佑も、障害に悩む晶さんを支えつづけた。「親戚の結婚式に呼ばれることがない。寂しいけど仕方がない。でもワシの存在自体を忘れられるのはイヤ。みんなと同じ空気を吸って生きているんじゃけえ」。時に挫けそうになる晶さんに「前を向いて生きよう!」と、琴冠佑が語りかけていた。夜のニュースでは、ホワイトソックスの井口資仁が心臓手術のために渡米した少年の病室を突然に訪れ、激励したという報道があった。その少年、以前から井口選手の大ファンで、これから難手術に向かうに際し、「大きな勇気」をもらうことができたのだと思う。プロスポーツ選手。かように、ファンに与える影響力は大きい。残念なことに、西武ライオンズの発表では、新たに5人の選手に「裏金」を渡していたということらしい。公式戦が始まった今、該当する選手は気が気ではないだろう。その選手名、いま公表すべきか否かが話題になっている。でも、問題はそんなことではなく、プロスポーツはファンに支えられているということを、まず再確認し根本から立て直すことだと思う。

2007年4月4日水曜日

根来氏、俗論に従っただけ

驚いた。何をと言えば、根来コミッショナー代行の発言。もう根来代行のことを書くことに飽きたのだけど、今日の日刊ゲンダイを読んで、再び書くことにした。昨日開催されたプロ野球実行委員会。いくつかの議題について承認はされたようだ。が、肝心の「裏金問題」については、違反した球団は最大2年間にわたり指名できない旨の罰則規定を決議をしたものの、今回の西武に対しては何らお咎めはなかった。なぜ?だとすれば、東京ガス・木村雄太投手と早稲田大・清水勝仁選手を処罰するだけか? この2名だけとは、いかにも「トカゲのしっぽ切り」みたいだ。彼らは、少なくとも自ら金銭を要求したわけでもないし、主犯ではないと思う。ボクはある意味、彼らは被害者だとさえ思っている。なぜ西武にお咎めがないかを問い詰めた報道陣に、根来代行はこう言い放った。「希望枠撤廃だって俗論に従っただけだ」。・・・・・・・・(ん?)どうやら、希望枠も撤廃したくなかったが、世間の「希望枠を撤廃せよ」という俗論(=世論)があったから、仕方なく止めたという意らしい。俗論とは、辞書を調べると、「世俗のつまらない意見。卑俗な議論」を言う。拝啓、根来様。裏金の温床になる希望枠を撤廃せよ、という声を一般社会ではふつう「正論」といいます。そして、何ら真実にメスを入れず、なぁなぁでことを済ますために開く寄り合いを、一般に「俗論」といいます。どうかこれを機会に覚えておくほうがよろしいでしょう。                      敬具

2007年4月2日月曜日

大野豊が引退した由伸HR

いまNHKのテレビを見ていた。番組では、読売・高橋由伸(桐蔭学園高-慶応義塾大)のここ3か月を追いかけた特集が組まれていた。これまで、軸足の左足に体重を残した打撃をしていたが、右足を踏み込んだときに、その右足に体重が乗る打法を心掛けその練習を繰り返していた。そして、その成果がさっそく開幕戦で現れる。対横浜1回戦。1番打者の高橋は、相手エース・三浦大輔(高田商高)が放った初球を叩き、右翼スタンドに「初球本塁打」を放った。スタジオでそのVTRを見ていた大野豊(出雲商高-出雲市信金)さん。自身がプロ野球を引退する契機となったのは、「当時ルーキーだった高橋由伸に本塁打を打たれたことだった」と、そう語っていた。そんな世代交代のキッカケとなるシーンは、プロ野球にままあることのようだ。「怪物」江川卓(作新学院高-法政大)。今でこそタレント業に勤しんでいるが、選手時代は「怪物」と評された。そして87年、対広島戦で大学の後輩でもある広島・小早川毅彦(PL学園高-法政大)に右翼スタンドに本塁打されたことを機に引退を決意した。世代交代が厳しいプロ野球の世界。引退を決意する瞬間。そんなヒトコマが、これまで引退した選手一人ひとりの記憶に必ずあるのだろう。

2007年3月31日土曜日

不運だ、楽天・川岸強!

今日の楽天vsオリックス。楽天の予告先発はエースの岩隈久志(堀越高)。が、背中に違和感があって先発を回避。急きょ、川岸強(桐蔭学園高 - 駒沢大 - トヨタ自動車- 中日)に先発のお鉢が回った。結果は、序盤でオリックス打線につかまり、2回1/3を投げ失点7で降板した。突然の先発指名は難しいという事情があったのかもしれない。黒星を岩隈に分けてあげたいくらいだろう-------------------------------------------------------川岸強。桐蔭学園高時代は、今日対戦したオリックスの平野恵一(東海大-オリックス)とチームメイト。97年夏の甲子園には一緒に出場している。エースは、現阪神の浅井良(法政大)。平野が遊撃手、川岸な中堅手兼二番手投手。1回戦の如水館高戦に3-1で勝利。2回戦の西京高戦では川岸が先発し好投。だが延長戦に入って力尽き敗れた。

2007年3月26日月曜日

森沢祐太「も」報徳を破る!

センバツ3日目、第2試合。■室戸高 2-1 報徳学園高■室戸 000 000 200 =2 報徳 000 000 100 =1 室戸高のエース・森沢祐太の好投と、遊撃手・柳弘侑祐や右翼手・中山大輔らの好ディフェンスでの「予想外の勝利」(失礼!)と言えるかもしれない。報徳の試合は昨秋の神宮大会決勝でテレビ観戦し、このブログに書いたことがある。その時は、室戸と同じ高知県の高知高と戦い、國尾健人-森田将之の投手リレーの前に、5-10で敗れた。今日はじめて知ったけど、室戸高の森沢祐太は高知中学の出身。國尾や森田をはじめ、高知高のレギュラーの大半を占める選手たちも高知中学出身であり、森沢も中学時代はチームメイトだったということになる。何らかの事情があり、森沢は系列の高知高に進学せず室戸高に進み、彼らと同様に報徳を破った。口元のあたりが西武・石井貴似で、気持ちの強そうな森沢にしてみれば「痛快な勝利」だったかもしれない。-----------------------------------------------------------------室戸高のOBには、法政大の小松剛投手がいる。また報徳のOBにはこの春に早稲田大を卒業し、トヨタに進んだ大谷智久投手らがいる。

大引啓次、ローズ、多村仁

甲子園の第三試合、千葉経大付高のゲームを楽しみにしていたが雨で順延。ではプロ野球は何を見ようか。地上波のテレビだけでなくCATVやネット、今やどんなメディアでも視聴が可能なので迷いに迷ってしまう。で、実際に見たのはネットで放送していたパ・リーグの開幕戦、ホークスvsオリックス。■オリックス 8-5 ホークス■オリックス 102 000 104 =8 ホークス 102 001 001 =5 結論からいえばオリックスの金星。金星は言いすぎかもしれないけど、今季は楽天よりも弱いかも?と噂されるオリックスが、よくぞ斉藤和巳(南京都高)が先発したホークスに勝ったもんだ。注目したのはオリックスのルーキー・大引啓次(浪速高-法政大)。開幕戦でさっそく8番・遊撃手としてスタメン出場。1打席目で右前打を放つなど、早くもレギュラーの座を獲得した感がある。そしてもう一人の注目選手は、横浜から移籍したばかりの多村仁(横浜高)。今日は3番打者としてスタメン登場、2本塁打を放って存在感をアピールした。ゲームは4-4で迎えた9回表。無死満塁で、5番の北川博敏(大宮東高-日本大)が二塁に強烈な内野安打を放ち2点を追加し、オリックスが勝利を決めた。ちなみに4番打者は背番号「8」を背負ったタフィ・ローズ。一年のブランクをものともせずに4番に座るとは、ローズがすごいのか、チームがだらしないのか。--------------------------------------------------------------------ほかに懐かしい名前が。まずオリックス・由田慎太郎(桐蔭学園高-早稲田大)が代打出場(結果は凡打)。早稲田大時代は青木宣親(日向高-早稲田大-ヤクルト)や鳥谷敬(聖望学園高-早稲田大-阪神)と同期。由田もそろそろ何とかしたい。そしてホークス・山村路直(松山中央高-九州共立大)、2000年のドラフト1位投手。最終回に6番手で登板、打者2人に相対し無難に抑えた。鳴り物入りでの入団だったが、これまでこれといった実績がなかった。

2007年3月25日日曜日

大引啓次、ローズ、多村仁

甲子園の第三試合、千葉経大付高のゲームを楽しみにしていたが雨で順延。ではプロ野球は何を見ようか。地上波のテレビだけでなくCATVやネット、今やどんなメディアでも視聴が可能なので迷いに迷ってしまう。で、実際に見たのはネットで放送していたパ・リーグの開幕戦、ホークスvsオリックス。■オリックス 8-5 ホークス■オリックス 102 000 104 =8 ホークス 102 001 001 =5 結論からいえばオリックスの金星。金星は言いすぎかもしれないけど、今季は楽天よりも弱いかも?と噂されるオリックスが、よくぞ斉藤和巳(南京都高)が先発したホークスに勝ったもんだ。注目したのはオリックスのルーキー・大引啓次(浪速高-法政大)。開幕戦でさっそく8番・遊撃手としてスタメン出場。1打席目で右前打を放つなど、早くもレギュラーの座を獲得した感がある。そしてもう一人の注目選手は、横浜から移籍したばかりの多村仁(横浜高)。今日は3番打者としてスタメン登場、2本塁打を放って存在感をアピールした。ゲームは4-4で迎えた9回表。無死満塁で、5番の北川博敏(大宮東高-日本大)が二塁に強烈な内野安打を放ち2点を追加し、オリックスが勝利を決めた。ちなみに4番打者は背番号「8」を背負ったタフィ・ローズ。一年のブランクをものともせずに4番に座るとは、ローズがすごいのか、チームがだらしないのか。--------------------------------------------------------------------ほかに懐かしい名前が。まずオリックス・由田慎太郎(桐蔭学園高-早稲田大)が代打出場(結果は凡打)。早稲田大時代は青木宣親(日向高-早稲田大-ヤクルト)や鳥谷敬(聖望学園高-早稲田大-阪神)と同期。由田もそろそろ何とかしたい。そしてホークス・山村路直(松山中央高-九州共立大)、2000年のドラフト1位投手。最終回に6番手で登板、打者2人に相対し無難に抑えた。鳴り物入りでの入団だったが、これまでこれといった実績がなかった。

2007年3月24日土曜日

38歳も進化途上、下柳剛!

セ・リーグも今日開幕した。いま、ケーブルテレビで阪神-広島戦(録画)を見ている。場所は大阪ドーム。いや、京セラドーム大阪といったっけ。観客席を見るとぎっしり満員に見える。3年前までは、言うまでもなく近鉄バファローズの本拠地だった。でも近鉄が使っていた頃、こんなにお客さんが集まるのを見ることは少なかった。高い阪神人気がよくわかる。そして球場を見ても、消滅した球団への特別な感情が自分から薄らいでいることもはっきりと感じることがでできる。開幕投手。広島は、昨年末に一層男をあげた黒田博樹(上宮高-専修大)。一方の阪神は下柳剛(長崎・瓊浦高-九州国際大中退-新日鉄君津-ダイエー-日本ハム)。ボクにとって下柳が開幕投手というのは、ちょっとした事件。彼への思い出にあるのは日本ハム時代。来る日も来る日も中継ぎでマウンドに上がっていた。スピードはあったが、制球に難がある投手だったようで、当時の近鉄「いてまえ打線」のいい餌食になることが多かった。下柳をノックアウトした後、決まってスタンドの応援団から歓声が飛んだ。「さよなら さよなら 下柳~、 ○○電車で はよ帰れ~」近鉄を応援していたボクからすれば、下柳登板は嬉しいラッキーなことであり、近鉄の好機到来ともいえた。それがいまや阪神のエースに成長している。調べたところ、速球に頼るのではなく、老獪な「のらりくらり投法」が持ち味になっているらしい。結局、今日は敗戦投手。白星はお預けになり通算勝利数は「93」のまま。100勝の大台までは、あと白星が7つ必要だ。

2007年3月23日金曜日

NPB、迷い道くねくね~♪

NPBの代表者会議では希望枠廃止を来季から実施することになったという記事。おおかたの予想では、これだけ騒ぎが大きくなったわけだから、すぐに希望枠廃止になるだろうと読んでいたが。その予想を裏切ってくれたのは、やはり読売さんだった。清武さんがいうには「ドラフト制度を変更するのであれば、FAもセットで考えなければいけない。さもないと、選手たちが可哀想であり、メジャーへの流出が加速するだけだ」と。他の11球団が見直そうというときに、読売が反対しコミッショナー代行もそれに追随した格好。この期に及んでもこんな有様だったら、選手はどんどんメジャーに流出して日本にプロ野球がなくなってもいいんじゃない? なんて思ってしまう。お金の選手へのやり取りは昔から当たり前に行われてきた。長嶋茂雄氏の立教大時代も有名だし、先日の日経では豊田泰光氏も西鉄から受け取っていたことを告白していた。いま、やっとそんな慣習を断ち切る絶好の機会であるはずなのに、読売のお陰で玉虫色の決着に落ち着きそうだ。となると、今後も裏金は続くのだろうか? となると、先に挙げた渡辺真知子『迷い道』の歌詞を思い出す。♪一つ曲がり角 ひとつ間違えて 迷い道 くねくね~♪日本のプロ野球、まさに迷い道をくねくね、だ。

2007年3月18日日曜日

早大・清水に野球続行の道

「西武裏金問題」で、早稲田大野球部から退部処分を受けた清水勝仁(専大北上高)。「これから清水選手、いったいどうするんだ?」ヘタをしたら大学を辞めざるを得ない可能性もあるし。そんなとき、手を差し伸べたのが社会人球界・日本野球連盟の鈴木義信副会長という人(社会人野球の東芝元監督、ソウル五輪・日本代表監督)。「本人の将来が抹殺されてしまい、気の毒な部分もある。生きる道は社会人しかない」と語った。この発言に呼応したのは茨城GG・萩本欽一監督。「彼の才能に罪はない。野球部は退部という残念なことになったが、そういうときこそゴールデンゴールズでしょ」と話した。「捨てる神あれば、拾う神あり」。たとえは悪いが、清水選手が野球を続ける方法があったのは良かった。2年後にはプロへの道も開かれる。これまで大学中退→社会人野球を経てプロ入りした選手に、落合博満(秋田工高-東洋大中退-東芝府中-ロッテ)や野間口貴彦(関西創価高-創価大中退-シダックス-読売)がいる。

2007年3月15日木曜日

[国民投票法]そのおかしなぶぶん

●下のエントリに詳しい。

http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/44a677883d06ac42cbcb766fa9b5a163

http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-114.html

http://tukui.blog55.fc2.com/blog-entry-279.html

憲法を改正する国民投票法を制定する場合、憲法の「権力拘束規範」という性格上、憲法についての正確な民意が最大限に広範に吸い上げられるシステムになっている必要がある。そうであるなら私は国民投票法の制定に大賛成である。しかしその点、今回の与党案では、多くの人々がすでに指摘されているように、投票の分母、最低投票率の非設置、広報活動などに大きな問題がある。

ここには、時間・機会・意識・資金の面で議論の空間と有効な民意の範囲をできるだけ縮減しようとする方向性がみられる。これは本来、逆のベクトルを向いていなければならない。

「壊憲手続簡略化法」という命名も

http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-115.html

http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-117.html

●「憲法審査会」の問題

こちらによると、国会閉会中も憲法改正案を大急ぎで審議できる「憲法調査会」が仕込まれているということ。

http://www.shugiin.go.jp/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/youkou/g16401030.htm

 二 憲法審査会

  1 設置

日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制について広範かつ総合的に調査を行い、憲法改正原案、日本国憲法の改正手続に係る法律案等を審査するため、各議院に憲法審査会を設けるものとすること。

  2 憲法改正原案等の提出

憲法審査会は、憲法改正原案及び日本国憲法の改正手続に係る法律案を提出することができるものとすること。

  3 憲法改正原案の審査手続の特例

憲法審査会は、会期中・閉会中を問わず、付託された憲法改正原案を審査することができるものとすること(閉会中審査の手続不要)。

  4 合同審査会

各議院の憲法審査会は、憲法改正原案に関し、他の議院の憲法審査会と協議して合同審査会を開くことができるものとすること。合同審査会は、憲法改正原案に関し、各議院の憲法審査会に勧告することができるものとすること。

  5 その他

1から4までに定めるもののほか、憲法審査会に関する事項については、各議院の議決によりこれを定めるものとすること。

これを「トロイの木馬」と表現しているかたも

●そして、公聴会がついに設定された。

http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20070315AT3S1500M15032007.html

 衆院憲法調査特別委員会(中山太郎委員長)は15日午前、憲法改正手続きを定める国民投票法案に関する公聴会の22日開催を与党の賛成多数で議決した。安倍晋三首相は5月3日の憲法記念日までの法案成立にこだわらないと発言したが、今国会成立の方針は崩していない。4月中の衆院通過に向け、法案採決の前提となる公聴会開催を与党単独で押し切った。

 先立つ理事会を共産を除く野党が欠席したため、委員会開会は定刻の午前9時半から1時間以上遅れた。野党委員は議決に反対し、委員長席に詰め寄ったが、中山氏は採決に踏み切った。

昨秋の臨時国会、教育基本法審議の際に河野洋平・衆議院議長がこのような発言をしている。

河野洋平衆院議長は13日、議長公邸で開かれた衆院議会制度協議会で「公聴会が採決に至る前提条件となる現状には疑問がある。議論すべきだ」と述べ、公聴会直後の法案採決が慣例化している現状の見直しを求めた。協議会に出席した与野党の代表者も同意し、今後、各党で検討を進めることで合意した。

2007年3月10日土曜日

サッカー シカゴ!

Copa Libertadores 2007

3/8 ガルシラソ・デ・ラ・ベガ(Cusco)

Cienciano 5-1 Bolivar

得点者 クエジャール(16分)B

    ミゲル・モスト(63分)C

    マリーニョ(71分)C

    ミゲル・モスト(81分)C

    マリーニョ(85分)C

    ハイメ・ルイス(90分)C

相手に退場者が出てからたたみかけて逆転勝ち!

評価はもちろん芳しくない・・・

http://www.peru.com/Futbol/AutoNoticias/FutbolPortada/2007/03/08/DetalleNoticia86614.asp

グループ7順位表

リバープレートがなんとホームでベネズエラのクラブに敗戦。

http://www.peru.com/futbol/AutoNoticias/Libertadores2007/2007/03/08/DetalleNoticia86628.asp

2007年3月9日金曜日

国民投票

国民投票法案は

自民、公明両党は6日、憲法改正の手続きを定める国民投票法案について、昨年末の臨時国会以来となる衆院憲法調査特別委員会を8日に開き、審議を再開することを決めた。野党が応じない場合も中山太郎委員長が職権で開会を決める。中山氏と与党理事らが確認した。与党は憲法記念日の5月3日までに成立させるため、特別委で15日に公聴会を開いたうえで22日に採決し、23日の衆院通過を目指す。

かなり切迫した状況になってきた。

許すな!憲法改悪・市民連絡会さんより。

朝日など、各紙は与党が8日に憲法特を強行し、15日公聴会、22日衆院憲法特採決、23日本会議採決という日程を報道しています。

安倍内閣はいよいよその地金を剥き出しにして、強行採決に踏み切ろうとしています。

明日、8日の衆院議面集会(5・3憲法集会実行委員会主催)にぜひ、結集を! 12:15~衆院議員面会所(地下鉄国会議事堂前駅下車3分)。そして、今後のたたかいの方向を共有したいと思います。

12日は18:30~衆院第二議員会館前をセンターにした「STOP!改憲手続き法 国会へ行こうアクション」があります。ヒューマン・チェーンです(呼びかけ人も募集中です。詳しくは市民連絡会のサイトをご覧下さい)。一人でも多くの皆さんの参加を呼びかけます。

とりあえずこれだけ

2007年3月7日水曜日

ジャイロボールとは何ぞや?

レッドソックスの松坂大輔、今日行なわれたマーリンズとの
オープン戦に先発で登板。3回を投げて被安打2、失点0に
抑えた。(毎日新聞)

夕刊フジによると、圧巻だったのは初回。
4番打者・ストークス相手に投げた4球目が、以前より話題
だった「魔球」ジャイロボールだったこと。当のストークス
が試合後に、「あれはジャイロボールだった」と証言したこ
とで報道されるに至ったようだ。

ジャイロボール?

最近になってよく聞く球種だ。でも、その実態が正直言って
ボクにはよくわからない。

どうやら「進行方向に渦巻状に回転して伸びる」魔球らしい。
例えば右投手が右打者に向かうときであれば、外角低めに
向かって、その回転で落ちていく。

走者がいるとき、このジャイロボールが決まるとゴロにしやす
くダブルプレーを取るのに有効とか。

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そもそも最近、いろいろな球種が出てきて、何が何やらよく
わからない。その昔はカーブ、ドロップ、シュートぐらいしか
球種がなかった。ある日、「タテに落ちるスライダー」という
表現を聞いた時から、ボクの頭はパニックになったままだ。

だいぶ以前、中日の落合博満監督が
「スライダーって、本来は横に曲がるからスライダーなんでしょ。
今の球種の呼び方はおかしい」
という趣旨のことを言っているのを
聞いて、妙に安堵したことがあった。

2年ほど前、雑誌『野球小僧』(白夜書房)のセミナーに参加した。
その際、球種をいちいち呼ぶのを止めて「落ちる系」「曲がる系」
という大雑把な表現を使ったほうが現実的じゃなかろうか、と編集長
氏が語っていたこともあった。

そういえば落合さん。こんな話をしていたこともある。
「練習でティーバッティングをするのは意味がない。なぜなら、
試合では投手の放ったボールは、打者の構えに対して平行にやって
くる。なのに、ティーは斜め前からボールが来るので、いったい何の
意味があるのか」
というわけだ。この点も、ボクは納得した経験が
ある。

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さて、再びジャイロボール。

いまTV「すぽると」を見ていたら、打者・ストークスに投げた4球目
について、松坂自身が語っていた。

「別にジャイロボールを投げたわけではない。スライダーやカーブを投
げようとして、すっぽ抜けた時(偶然に)「ジャイロ」のような回転に
なる」
ということらしい。

やはり球種って難しい。

2007年3月6日火曜日

サッカーのこと 負けるなぁ、小笠原道大!

日本ハムからFAで読売に移籍した小笠原道大

日ハムで仲間とともに築いた「チームガッツ」を離れた。
が、読売でも元日ハムにいた古城茂幸らとともに、新たに
「新・チームガッツ」を結成したことを、先日このブログ
に書いた。

でも、小笠原。まだ孤独の中にいるのだろうか。
そう思わせる記事を、日刊ゲンダイが伝えている。

日刊ゲンダイの記者氏は、読売の宿舎隣にある居酒屋で、
見てはいけない小笠原の姿を見てしまった・・・。

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店内は15人ほどが座れるカウンターがある。
その隅で、背を丸めて誰にも気づかれないように、熊本の
米焼酎をひとり飲む男がいた。ただ壁を見つめつつ飲んで
いたそうだ。ほかにだれも客はいない。

その男が小笠原。
愛称「ガッツ」のイメージとは程遠い。

小笠原がお勘定の時、よせばいいのに記者氏は声をかけた。
「お疲れ様~」

小笠原は驚いた様子で記者氏の顔を確認し、バツの悪そうな
表情を浮かべてペコリと頭を下げ、店を出て行ったそうだ。

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ボクは小笠原が読売に移籍したのは、いまでも失敗じゃないか
なんて思っている。でも、このようなエピソードを聞くと、
単純に応援をしたくなる。

こういうことって、サラリーマン社会にもある。というか、
サラリーマン社会の話だと思っていた。

ボクも、10年以上前に転勤を経験したとき、居酒屋で初めて
ひとりで飲んだことがある。飲んでいてなんとなく切ない気分に
なったことを思い出した。

小笠原もそんな気分だったろうか?

ま、彼がどんな気分で飲んでいたかなんて、ホントのことは誰
にもわかるはずもないが。

過去、FAで読売に移籍した選手の前例はパッとしない。
ぜひ小笠原には、そんな前例をスカッと吹き飛ばして欲しい。
このエピソードを知り、なぜか勝手に小笠原を身近に感じることが
できた。

2007年3月5日月曜日

サッカー

沖縄・浦添市。ただいま早稲田大学野球部のキャンプ地という
ことで、練習の観戦に訪れた観客がなんと1000人。ヘタな
プロ野球の球団より人気が高いのかもしれない。

もちろん、お目当ては斎藤佑樹投手。
この人気を狙ってか、創立125周年ということもあって、全
国各地のOBたちから早大野球部の記念試合開催を招致する声
が止まないそうだ。

プロ野球の球団だって黙っちゃいない。読売は早大OBの球団
関係者をベタ付きにしているそう。日本テレビともに、斎藤が
卒業する4年後まで、ずっとくっついているかもしれない。

でも、その読売を面白く思っていないのが早大・應武篤良監督。
「若手をロクに育てようとせず、FAでどんどん出来上がった
選手を獲得。用が済んだらポイ! という球団に大事な教え子を
預ける気がない」(日刊ゲンダイ)
というわけだ。

そういえば應武さん、日本代表監督・星野仙一氏とも揉めている
よう。日本代表選手に斎藤佑樹投手を推薦する予定はないと語っ
たことに、星野さん怒り心頭。
「應武さんは、まるで日本代表チームのことを考えていない」と。

でもなぁ、斎藤投手は現時点では、たかだか高校生相手に活躍
しただけの選手(決して悪い意味じゃないですよ!)。

日本代表監督が目くじら立てる必要があるのかね?

2007年3月4日日曜日

サッカーシカゴ!

Torneo Apertura 2007

第6節 

3/4 ガルシラソ・デ・ラ・ベガクスコ

Cienciano 1-1 Sport Boys

得点者 ハイメ・ルイス(5分)C

    セルヒオ・イバラ(62分)S

ホームでドロー。

前半早いうちに退場者がでました。

勝ち点でMelgarに追いつかれました(-_-#)

2007年3月3日土曜日

ひな祭りとサッカー

Copa Libertadores 2007

3/1 Pedro Bidegain, "Nuevo Gasometro"(Buenos Aires)

Boca Juniors 1-0 Cienciano

得点者 イバラ(80分)B

今年も終わりましたか・・・残り10分まで猛攻を耐えたんですが・・・

http://www.peru.com/Futbol/AutoNoticias/FutbolPortada/2007/03/01/DetalleNoticia86308.asp

2007年2月28日水曜日

野球の話

お久しぶりです。この数日間、ちょいと仕事でバタバタして
おりました。

さて。
先ほど「ニュース・ZERO」(日本テレビ系)を見ていた。
レギュラー出演している長嶋一茂氏が、今日の特集「うつ病」
を取り上げた際に自らの「うつ病(パニック障害)」の経験を
語り、回避するためには「勇気をもって休むこと」とカメラ
目線で力強く語っていた。

そうかぁ。
オヤジさんが偉大過ぎたがために、かかるプレッシャーは相当
だったろう。精神的に疲れるのもわかる。いまネットで調べたら、
パニック障害で、現役選手の頃にもバッターボックスに立てない
ことがあったそうだ。

これまで、なんで報道番組に一茂氏が出ているのかわからなかった
けど、今日はじめて氏の存在感を感じた。
(フジTV系の「NEWS JAPAN」のミノワさんは、いまだ
に何のためにいるのかわからないけどわからん

ま、わが家の場合。
わが息子はオヤジに対して同種のプレッシャーは全くないだろ。
そういう意味で、わが家は精神的には安泰だうっしっし

で、長嶋一茂氏。
立教高(現・立教新座高)-立教大。(プロ入団以降は省略)

83年夏。高校3年のとき、埼玉県大会準決勝まで勝ち進むが、
その大会で優勝した所沢商高に敗れ、甲子園出場の夢を絶たれた。

そして大学時代。
立教大4年のときは主将、かつ4番打者をつとめた。また、春と秋の
シーズンに、東京6大学のベストナインも獲得。父・茂雄氏の8本塁打
を抜く11本塁打を神宮で放った。

ボクは一茂氏の立教時代の姿を、神宮で見たことがある。
三塁を守っている姿は、いかにも身体が固そうに見えた。特にヒザが
固そうで、常に腰が高い姿勢だったように記憶している。

長嶋一茂氏といえば、思い出すのは高校・大学時代を一年遅れで氏ととも
に過ごし、日本ハムに入団した矢作公一氏(浦和リトル-立教高-立教大)。
中田亮二(明徳義塾大-亜細亜大)に似ているというか、元・近鉄の
佐野重樹投手(松山商高-近畿大工学部)に似ているというか。

矢作氏、いまは埼玉で「お好み焼きレストラン」を経営しているそうだ。

2007年2月25日日曜日

サッカー

Torneo Apertura 2007

第5節(2/24 アリアンサ・リマ(リマ))

Alianza Lima 2-1 Cienciano

得点者 フニオル・ビサ(16分)A

    フリオ・ガルシア(25分)C

    フラビオ・マエストリ(49分)A

黒星(>_<)

http://www.peru.com/Futbol/AutoNoticias/FutbolPortada/2007/02/24/DetalleNoticia86091.asp

2007年2月22日木曜日

松坂世代の代表格、和田毅

この21日、26歳の誕生日を迎えたソフトバンク・和田毅。
紅白戦に登板、松田宣浩(中京高-亜細亜大)にホームランを
許したものの2回で5三振を奪う力投。

下半身主導で投げる理想のフォームを目指し、このキャンプでは
股関節の運動やランニングなどで下半身を鍛えてきた。その効果
もあって、ブルペンで多くの球数を投げても肩や肘が疲れにくい
と手ごたえを感じているよう。
           (ソフトバンク・キャンプ・リポート)

和田毅
浜田高-早稲田大-ホークス。

「球の出どころが打者から見えずらい」投手。でも、それは意図し
てやったことではない。子供の頃から無意識のうちにヒジから先が
遅れて出てくる投げかたをしていた。まわりの人に指摘され、打者
から見ずらいフォームであることに初めて気づいた。

さらに、大学時代。
背の低さをカバーするために、ポーンと跳ねるようにステップ。
それが打者に、より近い位置でボールを離す「球持ちの長さ」につな
がった。

いまや『松坂世代』の代表格となった和田。
だが高校時代、間近かで松坂大輔を見て「バケモノだ!」と思った。
それは98年夏の甲子園。

準々決勝の第1試合。松坂のいる横浜高と、田中一徳(元・横浜)
がいたPL学園高が延長17回の死闘を繰り広げた同じ日。
第3試合に、和田の浜田高と古木克明(現・横浜)のいる豊田大谷高
との対戦カードが組まれていた。

延長に入り、なかなか終わらない第1試合を、和田は球場通路から観戦
していた。ゲームは延長15回、松坂の投球数は200球を超えていた。
しかし、いざマウンドに立つといきなり143kmの速球を放った松坂。
それを見て和田が呟いたのが先の言葉。「バケモノだ...」。

当時の和田、時を経て『松坂世代』の代表格になるなんて思いもしな
かった。球速は130km前後、スピードという点では「どこにでも
いる投手のひとりに過ぎなかった。でも、ボールの出てくるところが
見えずらいため、なぜか打者を抑えてしまう不思議な投手だった。

そして早稲田大時代。
球威を増すためにフォームを改造。そして走りこみやトレーニングを積む
ことで、大学1年の秋季リーグでは、いきなり141kmを計測するまで
になった。

結果、江川卓氏のもつ持つ奪三振記録(東京6大学)443個を更新。
476個の記録を打ちたてた。

        (参考:『松坂世代』矢崎良一著・河出書房新社刊)

2007年2月21日水曜日

野球の事

-最速148キロで2回無失点 増渕、上々の実戦初登板-

ボクの地元・埼玉が生んだ「大器」、増渕竜義投手(鷲宮高)。
韓国プロ野球のSKとの練習試合で登板。最速148kmの速球
で、2回を2安打無失点に抑え、その才能の片りんをのぞかせた。
                    (Sports Navi) 

昨日の日刊ゲンダイでも、増渕のことが記事になっていた。
ブルペンで投球する増渕を見て、ヤクルト・古田敦也監督
(川西明峰高-立命館大-トヨタ自動車)や八重樫幸雄コーチ
(仙台商高)は、「さすがだ、器が違う!」とクチを揃えて
いたという。

あわせて、評論家の山崎裕之氏(埼玉・上尾高-ロッテ-西武)
のコメントも併記されていた。
「昨夏の埼玉県大会で増渕を見た。当時は下半身が安定せず、
上半身のチカラだけで投げていた。でもこのキャンプで見た増渕
は身体が絞られており、安定している」。



増渕竜義
なんてったって、武器はスリークオーターから右打者の外角へ
投げる140キロ台後半の直球。そしてスライダーとフォーク。
昨秋の高校生ドラフト、1巡目でヤクルトから指名を受けた。
鷲宮高の先輩に楽天・西谷尚徳(明治大)がいる。

※西谷のブログ「ひとりでできるもん!」こちら
わけのわからないタイトルだけど、競争の激しい明治大に
あって、1年生時から二塁手のポジションを奪取していたよう
に記憶する。


増渕の高校時代。といっても昨年のことだが。
春は埼玉県大会で優勝。甲子園に夢をつないだかに見えたが、
夏は県大会決勝で敗れ、もう一歩のところで甲子園を逃して
いる。

ボクはこの一年、増渕の投げるゲームを数多く観戦した。
忘れられない出来事だったのは、たしか春の県大会のある試合。

この日、なかなか制球が定まらない増渕。
そんな自分自身にイライラしたのか、マウンドに仁王立ちしたまま、
突然に「行くぞぉーっ」と吠え、気合いを入れ直していたこと。
なかなか高校野球で見られないシーン。プロ野球のスカウトたちの
多くがネット裏に陣取る中で、だれにも遠慮のない堂々とした姿勢
に、彼の「大器」ぶりを感じることができた。

県内で一緒に切磋琢磨したのは、埼玉栄高エースだった木村文和
同じく昨秋のドラフトで、増渕のハズレ1位で西武に入団した。

だが昨夏、甲子園のマウンドに立てたのは、この木村でもなく、
浦和学院高の2年生だった赤坂和幸。県予選ではエースナンバーを
つけていたわけではなかったが、今年のドラフト候補の一人として
挙げられる選手になっている。

たぶん今年の埼玉高校野球、この赤坂を中心に回っていくのだろう。

2007年2月20日火曜日

サッカー

どうやら今年のシーズン終了をもって、プロ野球界から
「バファローズ」という名は消えるらしい。

30年以上にわたり「近鉄バファローズ」のファンだった。
勝手なことを言わせてもらえれば、ボクのこれまでの半生
の大半はバファローズとともにあった。

でも、何の感慨もない。感傷的になる気もサラサラない。
すでに近鉄という球団が消滅し、他の球団が事情により
バファローズを仮称としてつけていただけなのだから、
当然なことかもしれない。

簡単に「ボクとバファローズ」を振り返る。

■小学生低学年のころ■
岩手生まれの岩手育ちのボクが突然、バファローズファンに
なった。理由は他愛もないこと(ここでは省略)。

以降、ラジオで大阪の放送局が発信する「バファローズナイ
ター」を、岩手で聞いていた。実況アナの声より「ザッー」
というノイズの音のほうが大きかった。試合内容が断片的に
しかわからなかった。でもラジオを聴き続けた。

当時の近鉄にはすごい選手が結構いた。でも勝てなかった。
次第に勝てないことで落ち着ける自分がいた。天邪鬼な性格
はこの頃に芽生えたのかもしれない。

永淵、土井(正博)、伊勢、安井、清、神部、佐々木(宏)などがいた。

■中学生・高校生のころ■
いきなり、阪急の監督だった西本幸雄氏が近鉄の監督に就任。
弱かったバファローズが、阪急と優勝争いを何度か演じるよう
になる。「天王山。阪急-近鉄、西宮3連戦」なんてフレーズ
がよく新聞で飛び交うようになる。

■浪人のころ■
バファローズ、パを初制覇。
マニエルおじさん、「弱冠二十歳」という称号を冠した山口哲治
(智弁学園高)が活躍した。

そして「江夏の21球」。
スクイズを失敗した石渡にも腹が立ったが、その前に三振に倒れた
佐々木恭介に怒りを覚えた。たしか、その年の首位打者。もっと
何とかならなかったのかと。

■大学生のころ■
仲間と一緒に草野球チームを作った。名前は「金欠バッキャローズ」。
ユニフォームの胸には「Buffaloes」と同じ字体で「Buccaloes」と
入れた。チームはかなり弱かった。

西本さんがシーズン終了とともに勇退すると聞き、「ラスマエ」の
ゲームを観るため、深夜急行に乗って、初めて大阪という土地(藤井寺)
に行った。

就職活動。近鉄のグループ会社の面接を受ける。
「私は近鉄バファローズが好きです」というと、担当者は「私は嫌い
です」と即座に切り返された。はぁ・・・撃沈!

■1988年■
伝説の「10.19」は、川崎球場3塁側のベンチ裏で、声を嗄らして
2試合とも応援した。一年前まで、10年以上にわたり三塁コーチャー
だった仰木彬氏が、この年いきなり監督になってスゴイことをやってし
まい、ボクは一気に仰木さんのファンになった。

■1991年■
大阪支店に転勤になる。
最初の営業先は「近鉄球団」。何を話したか、まるで憶えていない。
名刺をもらえたことが、ただ嬉しかった。

大阪支店は大阪ビジネスパーク(OBP)の中にあり、ボクの勤務先は
15F。窓からは、森ノ宮にある日生球場の照明の灯りがはっきりと見
えた。残業もそこそこに球場に足を運んだ。

■2001年■
北川の代打・逆転・サヨナラ・満塁・本塁打でリーグ優勝を決める。
もしこのゲームで優勝が決まらない場合は、一日をおいて千葉マリン
のロッテ戦で決定する可能性があった。ボクはそのチケット(ネット裏)
をもっていたので、大阪で優勝が決まったことが嬉しくもあり、残念でも
あった。

■2004年■
バファローズの身売りだ、合併だ、1リーグ制だ、そんな話題が席巻し、
なにやら不穏な動きが出始める。どさくさにまぎれてホリエモンが登場。
「救世主」として歓迎するムキもあったが、ボクは興味をもてなかった。
決してホリエモンのその後を予見したとかじゃない。テレビのあるインタ
ビューで「もし買収したら、誰を監督にしますか?」と聞かれ、
「うーん、原さんかな」と応えたその一言で、このヒトは野球を知らない
し、興味もないんだなと思った。

ま、そんなこんなで近鉄は消滅した。
そして同じとき、ボクは必死で「バファローズ」という名も記憶から消滅
させようとしはじめた。

2007年2月15日木曜日

サッカー

中村紀洋の退団騒動、前川勝彦の逮捕事件。
そして、引退からすでに1年を経過したタフィ・ローズ
入団テストでチーム内に内紛の発生。

このところのオリックス、まるでいいことがない。

近鉄ファンだったボクとしても、騒動の元凶にいる3人が
すべて元近鉄の選手だったことに心境はちょいと複雑である。

夕刊フジによると、
チームの選手たちは、球団の清原和博への特別扱いだけでも
辟易しているのに、今度はローズ。この2人の組み合わせ、
想像するだけで「球団は何を考えているんだ?」とボヤいて
いるようだ。

それに追い討ちをかけるように、チーム内の「オリックス」
「旧近鉄」「外様」
の3派の内紛。所詮、寄せ集め所帯だから
なんて言葉で片付けられる話ではない。中村ノリ、清原、
そしてローズなど、名前と過去の実績にとらわれた補強を
繰り返す体質にこそ問題があるかもしれない。

そして、もうひとつ。
チームの「和」という観点からすると、「両刃の剣」的な存在
を敢えて招き入れることも拍車をかけている。

オーナーの思い入れの強い「1リーグ制」。
その夢が叶わないのであれば、どうせ野球=宣伝。
知名度の高い選手をかき集めて球団価値を上げることで、
あとは得意のリース(≒身売り)にしちゃいましょ。

なんては考えていないよね。

最近、迷走気味のオリックス。
起きる問題が偶然なのか必然なのかをつかみかね、
つい変な想像をしてしまう。

2007年2月13日火曜日

サッカー

昨秋のドラフト、オリックスに大・社ドラフト3巡目で指名され
入団した大引啓次。さっそく今日の紅白戦、二番・遊撃手で出場。
二塁打を放つ活躍もあったが、失策も1つ記録した。

「大学時代と違って追いついたと思っても抜けてしまう。はやく
慣れないと」
とは本人の弁。

大引啓次
身長178cm、体重78kg、右投右打、内野手。
浪速高-法政大。

浪速高時代。2年生の時、センバツで甲子園に出場している。
1回戦で福井商高を7-6、2回戦で徳島・小松島を破ったが
3回戦、この大会で大旋風を巻き起こした「21世紀枠」出場の
宜野座高に2-4で敗れた。

この大会の注目選手に、
東北高・高井雄平(2年・ヤクルト)、関西創価高・野間口貴彦
(3年・シダックス-読売)、真田裕貴(3年・姫路工高-読売)
らがいた。

そして法政大時代。
1年春から神宮に出場、歴代4位の121安打を記録した。
「難しいプレーを何気なくアウトにできる」堅実な守備をはじめ、
玄人好みの走攻守そろった選手。

プロでも十分に期待できる選手の一人なんだろう。
でも、オリックスに入団したことが吉なのか凶なのか?
そもそも阪神やロッテが狙っていたはずなのに、なぜかオリックス
が指名をした。

このオリックス、大引に似たタイプのニ遊間の選手が多い。
水口栄二(松山商高-早稲田大-近鉄)、阿部真宏(横浜高-法政大
-近鉄)、平野恵一(桐蔭学園高-東海大)、塩崎真(熊本工-
新日鉄広畑)、後藤光尊(秋田高-川崎製鉄千葉)、森山周
(報徳学園高-大阪産業大-ヤマハ)らがいる。


オリックスという球団、大引のライバルが多い。
そもそもオリックスに入団したことが失敗だった、などと
言われることのないよう祈りたい。

2007年2月12日月曜日

サッカー

CIENCIANO 情報

第2節

CIENCIANO3-0BOLOGNESI

勝ち点3獲得!

(合計6)

現在1位!

2007年2月10日土曜日

野球のこと

昨秋のドラフト、オリックスに大・社ドラフト3巡目で指名され
入団した大引啓次。さっそく今日の紅白戦、二番・遊撃手で出場。
二塁打を放つ活躍もあったが、失策も1つ記録した。

「大学時代と違って追いついたと思っても抜けてしまう。はやく
慣れないと」
とは本人の弁。

大引啓次
身長178cm、体重78kg、右投右打、内野手。
浪速高-法政大。

浪速高時代。2年生の時、センバツで甲子園に出場している。
1回戦で福井商高を7-6、2回戦で徳島・小松島を破ったが
3回戦、この大会で大旋風を巻き起こした「21世紀枠」出場の
宜野座高に2-4で敗れた。

この大会の注目選手に、
東北高・高井雄平(2年・ヤクルト)、関西創価高・野間口貴彦
(3年・シダックス-読売)、真田裕貴(3年・姫路工高-読売)
らがいた。

そして法政大時代。
1年春から神宮に出場、歴代4位の121安打を記録した。
「難しいプレーを何気なくアウトにできる」堅実な守備をはじめ、
玄人好みの走攻守そろった選手。

プロでも十分に期待できる選手の一人なんだろう。
でも、オリックスに入団したことが吉なのか凶なのか?
そもそも阪神やロッテが狙っていたはずなのに、なぜかオリックス
が指名をした。

このオリックス、大引に似たタイプのニ遊間の選手が多い。
水口栄二(松山商高-早稲田大-近鉄)、阿部真宏(横浜高-法政大
-近鉄)、平野恵一(桐蔭学園高-東海大)、塩崎真(熊本工-
新日鉄広畑)、後藤光尊(秋田高-川崎製鉄千葉)、森山周
(報徳学園高-大阪産業大-ヤマハ)らがいる。


オリックスという球団、大引のライバルが多い。
そもそもオリックスに入団したことが失敗だった、などと
言われることのないよう祈りたい。

2007年2月7日水曜日

グーグルアドセンス

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とのことです。

いつかはblogに張りたいですね。

2007年2月6日火曜日

blog開始!!

今日からblogを綴って行きたいと思います。
目標は2日に1回!!
ネットでの収入の情報も書いていこうと思っています。
よろしくおねがいします。