この21日、26歳の誕生日を迎えたソフトバンク・和田毅。
紅白戦に登板、松田宣浩(中京高-亜細亜大)にホームランを
許したものの2回で5三振を奪う力投。
下半身主導で投げる理想のフォームを目指し、このキャンプでは
股関節の運動やランニングなどで下半身を鍛えてきた。その効果
もあって、ブルペンで多くの球数を投げても肩や肘が疲れにくい
と手ごたえを感じているよう。 (ソフトバンク・キャンプ・リポート)
和田毅。
浜田高-早稲田大-ホークス。
「球の出どころが打者から見えずらい」投手。でも、それは意図し
てやったことではない。子供の頃から無意識のうちにヒジから先が
遅れて出てくる投げかたをしていた。まわりの人に指摘され、打者
から見ずらいフォームであることに初めて気づいた。
さらに、大学時代。
背の低さをカバーするために、ポーンと跳ねるようにステップ。
それが打者に、より近い位置でボールを離す「球持ちの長さ」につな
がった。
いまや『松坂世代』の代表格となった和田。
だが高校時代、間近かで松坂大輔を見て「バケモノだ!」と思った。
それは98年夏の甲子園。
準々決勝の第1試合。松坂のいる横浜高と、田中一徳(元・横浜)
がいたPL学園高が延長17回の死闘を繰り広げた同じ日。
第3試合に、和田の浜田高と古木克明(現・横浜)のいる豊田大谷高
との対戦カードが組まれていた。
延長に入り、なかなか終わらない第1試合を、和田は球場通路から観戦
していた。ゲームは延長15回、松坂の投球数は200球を超えていた。
しかし、いざマウンドに立つといきなり143kmの速球を放った松坂。
それを見て和田が呟いたのが先の言葉。「バケモノだ...」。
当時の和田、時を経て『松坂世代』の代表格になるなんて思いもしな
かった。球速は130km前後、スピードという点では「どこにでも
いる投手のひとりに過ぎなかった。でも、ボールの出てくるところが
見えずらいため、なぜか打者を抑えてしまう不思議な投手だった。
そして早稲田大時代。
球威を増すためにフォームを改造。そして走りこみやトレーニングを積む
ことで、大学1年の秋季リーグでは、いきなり141kmを計測するまで
になった。
結果、江川卓氏のもつ持つ奪三振記録(東京6大学)443個を更新。
476個の記録を打ちたてた。
(参考:『松坂世代』矢崎良一著・河出書房新社刊)
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