2007年6月30日土曜日
ハンカチ王子商標申請中?
今日の日刊ゲンダイ、ごく小さな記事に目がとまった。それは「ナントカ還元水、登録商標申請者がいた!」と見出しのついた記事。埼玉在住の男性が、3月20日に「ナントカ還元水」という言葉を特許庁に登録商標の申請をしていたことが発覚したという。この言葉、先日自殺した松岡利勝農水相が国会答弁の際に口をついて出た言葉。これにマスコミが飛びつき、流行語になっていた。それをさっそく商標登録申請をする「利に敏い(りにさとい)」男がいたということらしい。その行為を非難しているのではない。ある意味、うらやましい。何が何だかわからないことの多い今の時代、そういった屈託のない行動力(?)も大事なことかもしれない。でも松岡氏が死去したことで、ジョークとして使うことはまかりならぬかもしれない。その男性、今ごろ歯ぎしりをしているのかも--------------------------------------------------------同じ日刊ゲンダイ。別の記事には、「早慶戦 チケット9千枚1時間で売り切れ」早稲田大側のチケット販売が行われたが、たったの一時間で売り切れたという。あとは神宮球場で発売される当日券が少し残っているだけらしい。昨年までは、いかに早慶戦といえども空席が目立っていた。なのに、「ハンカチ王子」こと斎藤佑樹投手の人気はスゴイものだ。ん 「ハンカチ王子」さっそく特許庁のホームページで登録商標の申請状況を検索してみた。すると、あった、あった、「ハンカチ王子」がすでに9件もさすがに、申請した会社や個人名をブログに書くのは憚れるので書かない。大手商社や布製品のメーカーなどが名を連ねていることは確認できた。最も早く申請したのは大手商社で、出願日は昨年の8月22日だった。昨夏の甲子園、早稲田実と駒大苫小牧高の決勝再試合が行われたのは8月21日。ということは、その翌日にちゃっかり申請をしていたということになる。へぇ~、でも斎藤佑樹本人の了承とか必要ないのかな、この場合は?
2007年6月15日金曜日
岩隈と野間口がトレード?
今日の日刊ゲンダイが報じている。楽天・野村克也監督、ある投手の現状を憂えているそうだ。その投手とは、シダックス時代に師弟関係にあった野間口貴彦(関西創価高-創価大中退)のこと。04年、自由枠で「鳴り物入り」で入団をしたものの、はっきり言って「鳴かず飛ばず」状態の野間口。通算成績は5勝6敗で今季は開幕一軍を逃し、背番号も「13」から「33」に格落ちした。ノムさん、そんな野間口を見ていて心配で仕方がない。仮にも最速150kmを投げられる投手、巨大戦力を擁する読売の中で埋没していく姿は見たくない。なにせ有能な選手を「塩漬け」にすることだけには長けている球団だ。だから、野間口を楽天に呼び、自らの手で再生したいと願っている。でも、欲しいといっても、おいそれと簡単に出してくれる選手ではない。いかに実績が出ていなくとも、商売となれば話は別だろう。それに、野間口に見合う楽天の選手とはいったい誰なのか?ノムさんの隠し玉は、なんと岩隈久志(堀越高)だという。一応、楽天のエースと呼ばれているものの、故障がちでパッ!としない状態が続いている。ノムさんは、そんな岩隈が疎ましい。「ほんとにやる気があるのか?」と。だから、岩隈と野間口のトレードを真剣に考えているらしい。・・・・・・・・・・ホントかな?-------------------------------------------------------岩隈久志。99年、ドラフト5位で近鉄に入団した。同じ時、1位は現・オリックス育成選手の宮本大輔(延岡学園高)。2位は現・オリックスの高木康成(静岡高)、そして3位は現・阪神の前田忠節(PL学園高-東洋大)。岩隈、03年いきなり2ケタ勝利(15勝)を挙げたことでまだ未熟ながら、翌年にはいきなりエースの称号を与えられる。その04年も15勝だったが、近鉄バファローズは球団ごと消滅、岩隈はオリックス入りを拒否して楽天に移籍する。 一年目の05年は9勝(15敗)したものの、野村監督が就任した昨年は故障がちで1勝止まりだった。日刊ゲンダイでは、岩隈が故障がちになった理由を、「最も信頼する義父・広橋公寿氏(元・西武)が、ノムさんの監督就任と同時に二軍コーチに格下げされたこと」が遠因ではないかと推測している。たしかに岩隈が調子を落とした時期と符合する。真偽はわからないが、ボクは別の理由を思いつく。それは、近鉄バファローズが岩隈にエースの称号を与える時期が、営業上の理由から拙速に過ぎたように思う。まだまだ下積みの段階に、名誉が与えられると多くの人は勘違いをする。オリックス入りを拒否した時点では、その心理を十分に理解できたけれどそのあとがいけない。近鉄のプロテクトから外れた選手の多くが失意の中で楽天に移籍した同じ時、「おれは楽天に行ってやる特別な立場だ!」といった、傲慢さを当時の岩隈に感じた。その延長線上に今があるように感じる。あくまで私見として。
2007年6月14日木曜日
松山竜平、斎藤佑樹を打つ!
その瞬間、九州国際大・松山竜平(4年・鹿屋中央高)は自分がかぶっていたヘルメットを脱いで、思い切り地面に叩きつけた。----------------------------------------------------全日本大学野球選手権2回戦、九州国際大-早稲田大。0ー2、2点ビハインドで迎えた9回裏。九州国際大、走者一・三塁で同点のチャンス。左打席には、その4番・松山が立った。相手投手は救援で登場したばかりの斎藤佑樹(1年・早稲田実)。松山、カウント2-0と追い込まれた後の3球目、柔らかいバットコントロールで、レフトフェンス直撃の大飛球を放った。三塁走者はもちろん、そして代走で出場していた舛巴義明(ますとも よしあき、3年・日章学園高)も一塁から一気に本塁を狙ったが、間一髪アウト。そのシーンを二塁ベース付近で見ていた松山。ヘルメットを投げ捨てる時の表情は、悔しさに満ちており、地面に当たったヘルメットは、ボールのように大きく跳ねていた。------------------------------------------------------松山竜平。高校・大学時代を通じて、これまで全国大会への出場経験はない。この大会が、自身初めての「全国大会」。だから気合は十分、大会前から明確な目標もあった。組み合わせでは、一回戦を勝利すれば二回戦は早稲田大と当たることは分かっていた。だから、「大学野球と言えば東京六大学。一番注目されるチームをたたいて全国を制したい」(読売新聞)ましてや相手投手は斎藤佑樹、燃えないはずがない。だが快打を放ったものの、同点のホーム直前で走者が憤死し、試合は終わった・・・。松山、試合終了の挨拶後に号泣していた。
2007年6月12日火曜日
ここにいたか、三木悠也(駒苫高)
全日本大学野球選手権が今日から始まった。ボクは東京ドームで行われた【第2試合】東日本国際大-四国学院大、そして【第3試合】関東学院大-金沢学院大の2試合をあらかじめ録画予約していて、今そのビデオを再生している。第3試合、関東学院大・2番打者の名前を聞いて驚いた。三木悠也(1年、駒大苫小牧高)。--------------------------------------------------三木、駒大苫小牧高の主要メンバーだった。田中将大(現・楽天)、本間篤史(亜細亜大1年)、三谷忠央(明治大1年)らとチームメイト。昨年8月20日の早稲田実との決勝戦。結局1-1のまま引き分け再試合になるこのゲーム。その貴重な1点は、8回に三木がバックスクリーンに放った特大本塁打だった。相手投手は、もちろん斎藤佑樹(早稲田大1年)。---------------------------------------------------さて、この試合。金沢学院大の左腕・高橋大輔投手の変則モーションにだいぶ手こずっている様子の三木。一打席目は三振、二打席目はセーフティバントを試みるものの、投手への小飛球に終わった。※三打席目以降の結果は、またいずれ機会があれば・・・。---------------------------------------------------------そして、相対した金沢学院大の高橋大輔投手のこと。三木と高橋、共通点がある。それは甲子園で引き分け再試合を経験していること。この高橋、埼玉・花咲徳栄高出身の、現在は大学3年生。花咲徳栄高といえば2003年のセンバツ。アン投手(現・東芝)を擁する東洋大姫路高との準々決勝引き分け再試合を経験した。花咲徳栄高のエースは福本真史(明治大4年)だったが前日の疲労が激しく、翌日の再試合は2年生投手だった高橋大輔が先発した。だが、好投したものの結局延長10回までもつれ5-6で敗れた。------------------------------------------------------三木悠也にしても、高橋大輔にしても、高校時代から大学に至る現在までの「点と点」がつながることで、一層面白くなる。そんな見方をすると、大学野球って結構面白い。まっ、今日はたまたまビデオを見て、2人のことを思い出したに過ぎないのだけど・・・。
2007年6月11日月曜日
混戦制した田中浩康の一打
「いい加減にしろ~、仲良し倶楽部じゃねぇぞ~」6回裏、ヤクルトの攻撃は二死走者なし。次の打者は9番・石井一久(東京学館浦安高)。直前のイニング、リードしていた3点をあっという間に追いつかれたヤクルト。先発の石井に見切りをつけて、ここは代打が出てくるんだろう、ボクはそう思っていた。ところが、打席に立ったのは石井。その時、空席の目立つ三塁側スタンドに陣取った酔っ払いが叫んだのが、冒頭のヤジだった。結局その石井、三振に終わり直後にベンチに向けてバットを放り投げていた。あまり行儀がよくない。そして7回、ピンチを招いて降板する際も、ベンチに腰かけていた選手たちが遠慮がちに立ち上がり、石井を怖々と迎えていたように見えた。まるで「○○○の王様」のようだった。----------------------------------------------------今年初めてのプロ野球観戦、ヤクルトvs楽天。追いつ追われつのシーソーゲームは、細かいことは抜きにして見てて結構楽しめた。楽 天 000 003 110 =5 ヤクルト 000 030 22X =7 楽天に粘りが出てきたのはよくわかった。でも、中継ぎにもう少し安定感が出ればいいんだろうか。敗戦投手になったのは「危険球退場」した松本輝(熊本工高)。ちょいと、ついていなかった。そしてヤクルト。8回裏、決勝打を放ったのは田中浩康(尽誠学園高-早稲田大)。大学の一年先輩・青木宣親(日向高-早稲田大)が敬遠され、満塁となった後に入った打席だった。自分の前の打者が敬遠されるのは、気分いいわけがない。センターに抜ける強烈なライナーのヒット打ち、一塁をまわったところで、田中は軽く右手を上げガッツポーズを作ってみせた。田中浩康。尽誠学園高時代は98年夏・99年夏の2回甲子園に出場している。98年夏、2年生ながら背番号「4」をつけて出場した大会。一回戦は市立船橋高に12-3で圧勝、二回戦で久保康友(現・ロッテ)を擁する関大一高に3-4で敗れた。関係ないけど、久保がいる関大一高が次の三回戦で対戦したのは埼玉・滑川高。12-1で関大一高が大勝するが、滑川には背番号「2」をつけた捕手兼投手の久保田智之(現・阪神)がいた。この大会、優勝したのは言うまでもなく松坂大輔のいた横浜高。
2007年6月10日日曜日
V9の正遊撃手・黒江透修
再びV9ナインが東京ドームに集ったセレモニーの続き。ショートのポジションに立ったのは黒江透修氏(鹿児島高)。V9時代の正遊撃手は黒江であり、当時からボクはずっと黒江のファンだった。黒江透修。背番号は「5」。当時の三遊間を組んだ相手は当然、長嶋茂雄氏(立教大)。三遊間のゴロ、華麗にさばく長嶋のプレーはあまりに有名。だが、長嶋が捕球できなかったゴロを深くまで追いかけ、捕球後にすぐさま右足を踏ん張り、一塁に送球した黒江のプレーが話題になることはあまりなかった。せいぜい、一塁の王貞治氏(早稲田実)が愚痴った言葉「黒ちゃんの送球はカーブがかかってとりづらい・・・」をマスコミが取り上げたぐらいだった。V9ナインの中では、地味な存在だった。だが、日本シリーズなどの大舞台ではド派手な活躍もした。5番を打ちMVPになったこともある(はず)だ。身長167cm。打撃フォームはヒザを極端に屈め、その小さな身長を一層低くして構える。そしてバットのグリップを握った両コブシは、額(ひたい)の高さにあった。相当に変則フォームだったが、1・3・4番以外の打順はすべてこなして、正遊撃手のポジションを守り続けた。-----------------------------------------------------いまから10年ほど前、ロッテの浦和球場でイースタンの試合を観戦していたことがあった。ネット裏のトイレに行ったところ、隣に立って用を足していたのは、その年だけロッテの二軍監督に就任していた黒江だった。「昔はファンでした」とあいさつしたかった。いや、せめて握手だけでも・・・とも思ったが、場所が場所だけに遠慮した。いまだにそのことを後悔している
2007年6月7日木曜日
佑ちゃんと行く秘湯の旅?
早稲田大・斎藤佑樹投手の4年後を夢想してみました。ボクには、2年前に楽天の行く先を夢に見て、野村克也監督の就任を見事(?)に当てた実績があります(???)さて、斎藤佑樹の4年後は?-------------------------------------------------2011年3月某日、パ・リーグ開幕戦。早稲田大を卒業した斎藤佑樹、仙台にあるデンコードースタジアム(旧称:フルスタ)のマウンドに立っていた。対戦相手は日本ハムファイターズ。昨年、エースとして大車輪の活躍を見せた永井怜(東洋大)を押しのける格好で、斎藤はプロデビュー戦を開幕投手として迎える権利を得た。胸には「JR東日本 LINERS(ライナーズ)」と書かれている。実は楽天、07年5月ごろから再燃したTBSとの攻防戦が決着し、10年のシーズン終了を待ってイーグルスの経営権を放棄して、横浜ベイスターズの経営に専念すること発表していた。併行してプロ野球・オーナー会議では、仙台にフランチャイズを維持することを条件に、楽天の後釜を選定していた。大都市圏と比較して大手企業が少ない東北地方。東北電力など数社の候補が挙がったが、結局JR東日本が継承することに決まった。その決定直後のドラフト会議。過去あった「裏金問題」の反省に立ち、希望枠とかいった制度は廃止され、単純なクジ引きで交渉権を獲得できた。斎藤祐樹投手には4球団から1位指名があったが、結局新設の「JR東日本」が交渉権を得、獲得した。JR東日本ライナーズ。公共性の強い鉄道会社ゆえ、選手に無理を強いることも多い。春と秋の行楽シーズンには、東北6県を一巡して開催する「死のロード」が待っている。その「死のロード」に合わせて、JR主催のパックツアー(野球の観戦チケットとセット)が用意された。「佑ちゃんと行く 東北六県 秘湯の旅」中高年の女性たちから若い女性まで人気を博し、発売前から問い合わせが殺到した。同時発売、佐々木主浩監督(新任)の名を冠したパックツアー「大魔神と行く 東北六県 歓楽街 朝まで飲み歩き」は市場調査の結果、顧客ニーズがないことが判明し中止になっていた。さて、開幕戦の続きです。斎藤佑樹、日本ハム打線を8回まで無得点に抑え、自軍が先制した1点を守り抜いた。最終回に救援で登場したのは、すっかり風格のでてきた田中将大。見事に3者三振に斬ってとり、斎藤のプロ初勝利をアシストした。ちなみに、日本ハム最後の打者は、亜細亜大からドラフト4位で入団したばかりの本間篤史(駒大苫小牧高)。この田中将大vs本間篤史の対決。日本ハムの監督に就任したばかりの、田中幸雄監督の演出も多少あった。※いうまでもなく私の夢想であり、すべてフィクションです。
岡田監督退場と日高の技
阪神・岡田彰布監督(北陽高-早稲田大)、今日のオリックス戦で退場処分を受けた。主審の判定をめぐり暴力行為を働いたのがその理由。岡田さんの退場、現役時代を含めても初めてのことらしい。テレビ「すぽると」で、そのきっかけとなったシーンを見ることができた。8回、阪神の攻撃。鳥谷敬(聖望学園高-早稲田大)が送りバントで一塁に向かおうとした際、一塁側に上った小飛球を追いかけたオリックスの捕手・日高剛(九州国際大付高)ともつれたことが守備妨害と判定された。ベンチを飛び出した岡田さん、「(鳥谷と日高)どっちがぶつかっていったか誰が見ても分かるやろ」と叫んで谷主審の胸を突いた。--------------------------------------------------------------どう見たって、鳥谷の守備妨害ではなく日高のテクニックに思えた。小飛球に間に合いそうもないと判断した瞬間、日高は瞬時に鳥谷の足にぶつかって行ったんじゃなかろうか。まさに、「技あり!」のプレーだった・・・日高剛。オリックスの正捕手を長年務めている。でも、いつから正捕手の座を射止めたか分からなかったので調べてみた。95年、ドラフト3位でオリックスに入団。最初の2年間は出場経験がなかったが、チームの先輩捕手・中嶋聡(秋田・鷹巣農林高)が西武にFA移籍したことを契機に正捕手の座に就いた。もちろん現在もその座を守り続けている。現在にいたるまで、ライバルは多く現れた。三輪隆(関東一高-明治大)、的山哲也(兵庫・福崎高)など。そのたび、持ち前のパンチのある打撃とディフェンス力で勝ちぬいた。
2007年6月5日火曜日
「メリーちゃん」渡辺秀武
めちゃめちゃ久しぶりにこの名前に出会った。その名前は、渡辺秀武(静岡・富士高)。今日は神楽坂で痛飲して、いい加減酔っ払って電車に乗った。右手にはいつもの愛読紙「日刊ゲンダイ」。ほとんど眠い目をこすりながら、大好きな連載企画「松坂大輔物語」(第51回)を読んでいた。その記事中、いきなり渡辺秀武という名前が目に飛び込んできて、一気に目が覚めたおぉ~、なんと何と懐かしい名前だ!記事を要約するとこうだ。松坂大輔が横浜高2年生のころ、プロ野球のスカウトがしょっちゅうグラウンドにやってきては松坂を注目していた。直球の速さもさることながら、スライダーも切れている。でも、春頃にはそれ以外の球種がなかったのに、半年後カーブを自在に操る松坂を見て、そのスカウトは尋常じゃないセンスに驚嘆する。「プロの投手だって新しい球種をマスターするのに一年の時間を要するのに、この高校生は半年間で完全にマスターしている!」と。そのスカウトこそ、当時の広島カープ・関東地区担当だった渡辺秀武氏。------------------------------------------------------懐かしい名前だ。読売の黄金時代、ボクは近鉄ファンだったけど、セ・リーグは人並みに読売ファンだった。その当時、渡辺秀武氏は大車輪の活躍を見せていた。70年にはノーヒットノーランを達成し、堀内恒夫(甲府工高)や高橋一三(広島・北川工高)らとともに読売の躍進を牽引していた。でも、身体の大きさとは裏腹に「やさしい性格」だったため、当時の寮長・武宮敏明氏が渡辺に名づけたニックネームが「メリーちゃん」。wikipediaによると、「メリーちゃん」というニックネームがついたものの、当時は「通算与死球日本記録保持者」という一面もあったという。新記録を達成したのは対阪神戦、打者は吉竹春樹(九州産高)だった。試合前、与死球のタイ記録保持者だったが、「この試合で記録の更新(=新記録)を狙う」と公言し、その餌食になったのが吉竹。驚くことに、新記録を狙うためにわざと当てにいったこの試合、実は渡辺の引退試合だったらしい。自身の引退試合で、不名誉な「通算与死球」の新記録を狙うなんて尋常じゃない。が、「メリーちゃん」などと、本人にとって好ましくないニックネームを戴いた渡辺にとって、汚名返上のためにも自ら仕掛けた行為なんだろう。ボクは勝手にその心理を推測した。余談だけど、以降この記録を塗り替えたのは東尾修(箕島高)。こちらは「さもありなん」と容易に納得できる。
2007年6月3日日曜日
斎藤へのボクの認識変遷を
今日、早慶戦の第3戦が行われた。結果は7-2で早稲田大が勝利し、完全優勝を決めた。今日の登板はなかったが、早稲田大・斎藤佑樹(早稲田実)は4勝0敗の実績を認められ、ベスト9<投手部門>に選ばれた。一年生ながら投手部門で選ばれるのは、極めて異例らしい。----------------------------------------------------昨夏の甲子園以来、斎藤佑樹(早稲田実)のことを何度も書いてきた。この春季リーグが始まるまで、ボクは斎藤という投手がいったいどんな実力の持ち主なのか、よくわからなかった。昨夏の甲子園から現在に至る10ヶ月間の「ハンカチ王子」こと斎藤佑樹のことを、このブログを通して振り返ってみる。題して「勝手に振り返る、ハンカチ王子の10ヶ月間!」(1)昨夏、甲子園の決勝戦を書いた。【決勝、互いに譲らず引き分け再試合へ。駒大苫小牧vs早稲田実】 (2006.8.20)この頃、ボクは斎藤よりも駒大苫小牧高・田中将大(現・楽天)に興味があった。一方の早稲田実、ホークスの王貞治監督の病気入院とセットで報じられることが多くて違和感があった。「王さんにとっても、早稲田実にとっても迷惑じゃないの?」と。(2)プロ入りに気持ちが傾く斎藤佑樹に家族会議が開かれる。【早実・斎藤家の家族会議をテレビが生中継したら面白い】(2006.9.6)この頃、「ハンカチ」人気が過熱の一方。そんなとき、プロに行くか進学するかの家族会議が開かれるという報道が相次いだ。「本当にプロに行ける実力があるの?」とダイレクトに書くのは憚れるような世の中の空気があった。だからボクの疑問を斎藤のお父さんに代わりに言わせたのが、この日のブログ。(3)早稲田大に進学を決め、入学前から練習に参加していた斎藤が風邪でダウン。翌日はスポーツ紙の一面でそのことが扱われる。【風邪で一面に登場できる人】(2007.2.11)斎藤人気は、その実力が評価されてのことではなく、あくまで営業上の、いわば「オトナ」の事情で仕立てられたアイドルではないの? と思って書いたのがこのブログ。風邪をひいて一面に登場できるのは、斉藤とそのころ来日していたチリ人妻のアニータ・アルバラードぐらいだろ、と皮肉ってみた。(4)春季リーグ開幕、対東大戦の開幕投手は斎藤佑樹。【斉藤佑樹、開幕登板!】(2007.4.14)いかに東大が相手でも、一年生投手が開幕戦に登場するとは?早稲田大・應武篤良監督がテレビ局やらの「営業上の」圧力に屈したのかしらん? なんて思ってしまった。 (5)対法大戦。たまたまボクはネット裏で斉藤投手の投球を見ていた。【斉藤佑樹が見せた安定感】(2007.4.30)正直言って、この時から斎藤に対してのボクの見方は変わった。法政相手に、こういった安定した投球ができるのかと!そして立教戦、明治戦にも好投を続ける斎藤。(6)明治大・謝敷正吾(1年・大阪桐蔭高)を三振に斬ってとる変化球も素晴らしかった。【斎藤佑樹と謝敷正吾、再び】(2007.5.21)----------------------------------------------------------そして今週、慶應義塾大を相手に勝ち投手になり4勝目を挙げた。一般的に、プロに行ってからから伸びるのは「荒削りな投手」だと聞く。そのほうが「伸びシロ」を期待できるからだという。その伝でいくと楽天に入団した田中将大などは適例だと思う。一方の斎藤佑樹はどうだろう? その辺にまだ疑問が残る。直球も速いし、多彩な変化球も頭脳もある。ある意味、すでに完成された感のあるこの投手は、プロに行った後どんな「伸びシロ」が期待できるのだろう?いや、今のままでも十分にプロで通用するのかな?
2007年6月2日土曜日
早慶戦、慶應義塾大が先勝!
東京六大学野球、早稲田大-慶應義塾大1回戦。今日、早稲田が勝てば優勝が決まる大事な試合、NHKテレビで観戦をした。勝敗の分かれ目は、やはり3回表・慶應義塾大の攻撃時にあった。一死で走者を二塁において宮田泰成(4年・東北高)、走者・加藤幹典(4年・川和高)の進塁をアシストする二塁ゴロ。普通であれば捕球した二塁手は、走者の進塁は許して、堅実に一塁へ送球するはずだ。が、早稲田大・上本博紀(3年・広陵高)は、捕球後すばやく三塁に送球した。結果、走者の足が一歩速くセーフ(記録は野選)、走者は一・三塁に。マウンドでは、早稲田大・先発の須田幸太(3年・土浦湖北高)が童顔を引きつらせていた。たぶん、このプレーが慶應の攻撃に勢いを与え、早稲田にとっては取り返しのつかない判断ミスとなってしまった。3番・梶本大輔(2年・西条高)に四球を与え満塁に。そして、今季2本の満塁本塁打を放ち「満塁男」の異名をとる4番・佐藤翔(4年・秋田高)が打席に。カウント2-1と追い込むが死球を与え、押し出しで1点。続く5番・青山寛史(1年・関西学院高)が三遊間をゴロで抜ける左前打で1点追加、スコア2-0。極めつけは6番・松橋克史(4年・竜ヶ崎一高)の走者一掃の右中間への三塁打。低めに落ちる変化球にうまく合わせて右中間へ打球を運ぶ、技ありの打撃。松橋、三塁ベースに駆け込むのが早いか、両手でハデなガッツポーズをし、雄叫びをあげていた。上本の小さなミスを起点に、一気にスコアを5-0と拡げた慶應、これで勝負を決めた。そして慶應、続きがある。それは青池悠五(4年・静岡高)の打撃のこと。6回、内角高めの直球を強引に叩くパワーヒッティングで左翼スタンドに本塁打。ダイヤモンドを一周しベンチに戻った後は大騒ぎ! 仲間たちと何度も何度もハイタッチを繰り返していた。そして8回には、遅い変化球に腰を泳がせながらバットを合わせて適時打を放った。たしか、先日の対明治大戦。青池、三振を喫して最後の打者になった。直後、悔しさのあまり(?)打席の土を思い切り蹴り上げていた姿を思い出した。
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