2007年5月31日木曜日

仁村徹と牛島和彦の妙な縁?

第3回目の今日は、上尾高vs川越工高。<決勝>1979年7月30日 大宮県営球場川越工 000 000 000 =0上 尾 000 100 000 =1上尾高のエースは、右横手投げの技巧派・仁村徹。東洋大を経て中日に入団、その後投手から二塁手に転向し、野手として活躍した「仁村弟」のこと。現在は中日のスカウトをしている。この仁村、直球は120kmと速くないが落ちるシュートとカーブを得意とし、絶妙のコントロールを武器にしていた。後ろで守っている野手は、捕手が構えたコースを見ると打球の方向が予測できるほど、仁村のコントロールは正確だった。この大会中、仁村は54イニングを投げ、与四死球3、42イニング連続無失点という驚異的な記録を残した。優勝を決めた上尾高の野本喜一郎監督(故人)、「長かった一年だった」と語り、涙を流したという。この野本氏の言葉には理由がある。前年の78年、野球部員3年生の二人が不祥事を起こし、半年間の対外試合禁止の処分を受けていたのだ。普通ならモチベーションが落ちる状況で、選手たちは一日も休まず練習し、単調になりがちな紅白戦を丹念に繰り返した。その試練の末に掴んだ「甲子園行きの切符」、喜びもひとしおだったに違いない。上尾高の主将は福田治夫氏、現在は桐生一高野球部の監督をされている。------------------------------------------------------エース・仁村徹を擁する上尾高、甲子園の初戦で牛島和彦や「ドカベン」こと香川伸行のいる大阪・浪商高と対戦。9回まで2-0とリードしながら、勝利目前で牛島に同点の2点本塁打を打たれ、延長戦の末に敗退した。この仁村と牛島、不思議な縁がある。それは仁村の入団一年目(84年)のこと。初登板初勝利を挙げた時、救援で登場して仁村の初勝利をアシストしたのは、仁村から甲子園での勝利を奪った牛島和彦、その人だった。

2007年5月27日日曜日

法政大、中京大中京トリオ

東京六大学野球、明治大-法政大2回戦。昨日の1回戦に引き続き、明治大が勝利。「逆転V」に僅かだが希望を残した。そのためには、来週行われる早慶戦で慶應義塾大が早稲田大に連勝することが必須の条件となる。今日の試合、優勝の望みはないものの、最後に一矢報いたい法政大はエース・平野貴志(桐蔭学園高)が久しぶりに先発した。だが平野、どうにも落ち着かない。初回早々に1点を失い、なおも満塁のピンチで打席に謝敷正吾(大阪桐蔭高)を迎える。平野が投げたのは、外に逃げる変化球。それを謝敷はきれいに左中間へ弾き返し、走者一掃の二塁打を放つ。事実上、勝負はこの時に決まった。この春季リーグ、法政大にとっては何も良いことはなくシーズンを終えた-------------------------------------------------この対明治大2回戦。法政大のメンバーには、3人の中京大中京高OBたちがいた。渡辺哲郎(4年)、伊藤暢啓(3年)、亀谷信吾(2年)。渡辺哲郎、02年センバツで捕手として、甲子園に出場している。エースは中根慎一郎(慶応義塾大-三菱重工名古屋)、そして二塁を守っていたのは現・楽天ルーキー捕手の嶋基宏(國学院大-楽天)。豪華メンバーだが、一回戦で西村健太朗(現・読売)を擁する広陵高に完封負けを喫した。そして伊藤暢啓と亀谷信吾、一緒に04年夏の甲子園に出場している。一回戦で明豊高、二回戦で浦和学院高を破り、三回戦では静岡・東海大翔洋高に苦しみながら逆転勝ちをした。調べてみると、その試合後の伊藤暢啓主将のコメントがあった。「せめてアイツにいい報告がしたかった。だから勝ててよかった」と。アイツとは亀谷信吾のこと。主軸だった亀谷、大会中に発熱し一時は入院。退院後も「球場に入ってはいけない」とドクターストップがかかり宿舎のテレビで仲間のプレーを見守っていた。この時の中京大中京、結局準々決勝で済美高に敗れる。済美の投手は、現・早稲田大の福井優也だった。

2007年5月25日金曜日

Vへ明大・行田がダメ押し打

東京六大学野球、明治大-法政大1回戦。結果は、明治大が7-3で法政大を破った。わずかながら優勝の可能性を残す明治。今日明日の法政戦で連勝し、かつ来週行われる早慶戦で慶應が早稲田に連勝すると、明治に優勝の可能性が生まれる。一方の法政、先週の慶應戦にも連敗し、すでに4位が確定している。投手陣もエース・平野貴志(桐蔭学園高)を欠いており、チームの目標もない、投げる投手もいない状態だ。有り体にいえば、まだ目標があるチームと、ないチームの差がハッキリと出た今日の試合だった。明治、試合を決めたのは7回裏。特に4-0と点差を広げ、なおも満塁の好機に4番・行田篤史(遊学館高)が走者一掃の二塁打を放ちダメを押した。---------------------------------------------------行田(ぎょうだ)篤史。高校時代、02年夏と03年センバツの2度、甲子園に出場している。ちなみに当時、遊学館高のエースは現・阪神の小嶋達也(大阪ガス)。02年夏の甲子園に出場したとき、行田は2年生。大会第6日・第1試合の対桐生市商高(群馬)戦では、夏の大会通算1000本目となる「記念本塁打」を記録した記念本塁打も放ち、勢いを加速する遊学館打線。桐生市商高を8-3、三回戦の対興誠高(静岡)を8-4で破りベスト8に進出したが、準々決勝で現・日本ハムの鎌倉健投手を擁する川之江高に完封負けを喫した。※この大会、本塁打を放ちながら、惜しくも一本違いで999号になってしまったのは、瀬間仲ノルベルト(日章学園)だった。----------------------------------------------------さて、今日の行田。終盤の守備は草野球並みだった。8回は一塁への平凡なファールフライを落球、そして9回には一塁ゴロの打球を、打球方向とは逆に身体が反応するチグハグなプレーも披露し、失点してしまった試合後のインタビューでは、「明日こそ、今日のような無駄な失点をする試合はしたくない。もういちど優勝を信じて引き締めないと」と、バツの悪そうな表情で話していた。

2007年5月23日水曜日

消えた年金、消された裏金問題

いま新聞やテレビは大騒ぎだ。それは「消えた年金」問題。年金受給者への支給漏れが生じている事件。その数、約5000万件に上る。該当者は申告が必要らしいが、ただでさえわかりずらい年金制度。自分がその該当者だと認識している人は、いったいどれだけいるのだろう? そして野球界を揺るがす「裏金問題」専大北上の再加盟認める=夏の岩手大会出場へ-高野連(時事)野球部を解散させた岩手・専大北上高が6月1日付で再加盟を認められることになったという。この点に関しては、まずはよかった。そもそも西武の裏金に端を発したこの問題。専大北上高が野球部解散に追い込まれ、いつの間にか高校野球の「特待生問題」に発展した。そして全国各地の春季大会では出場辞退や、高校と特待生の契約解除が行われるなど、あらぬ方向に事件は向かっていた、問題の本質はベールに隠されたまま・・・。この「裏金問題」の本質は、高校野球をやっている選手たちにあるというより、プロ球団はもちろん、優れた選手をエサにして「甘い汁」を吸おうとする指導者、ブローカーやタニマチ風情のオトナたちにこそある。なのに、その点を避けて、現役野球部員たちに出場辞退や特待生取消などの罰を課しただけで終息しそうな気配だ。根来泰周コミッショナー代行は、毎度のとおりアクションを起こすわけがないし、西武に調査結果の公表を求めるアマチュア野球団体にしても、とりあえずのポーズに過ぎないのだろう。公表されて一番困るのは、この人たちの近隣の人たちなのかも知れないから。

2007年5月20日日曜日

滑川総合、日大三高に惜敗【詳報】

今日、春季関東大会2日目(2回戦)を観戦した。第二試合は、埼玉・滑川総合高-東京・日大三高。滑川総 010 002 000 =3日大三 000 220 00X =4投手:【滑川】内田-照井【日大】上松-宮田滑川総合高、特待生問題に揺れた埼玉県大会を優勝。準決勝では、優勝候補の一角を占める春日部共栄高を3-1で破っての出場だ。応援団はおらず、野球部員の父母しかいない日大三高。一方の滑川にはブラスバンドを含めた大応援団が・・・。滑川の先発は背番号「10」の内田、日大三高は「11」の上松。日大三高・エースの池田は昨日登板したこともあり、今日は一塁を守った。両チームの投手にとって困難を極めたのは、主審の厳しい判定だ。左右の厳しいコーナーへの球は、ことごとく「ボール」と判定されたこと。カウントを整えることに双方とも苦労したようだった。さて、ゲーム内容。先制を許した日大三は4回、2番・田中洋の左翼越え二塁打を皮切りに、4番・池田、6番・岡の適時打で2点を得点し逆転。続く5回、走者を一・三塁に置いて2番・田中洋が打席に。外野手はタッチアップに備えて前進する。だが、その前進守備を嘲笑うかのように、田中洋の打球は外野のはるか頭上を越える二塁打を放ち、二者を迎え入れて4点目を加点した。(スコア1-4)滑川も黙っちゃいない、6回表の攻撃。走者一・三塁で、途中出場の照井が中前打。続く9番・安藤も中前打を放ち3-4。あと1点差に迫り、なおも無死満塁のチャンスが続く。打者は代打の北村。北村が叩きつけた打球は、高いバウンドで二遊間を抜けるように見えたが、遊撃手の田中洋がまわりこんで好捕。二塁へトスして、滑川のチャンスは潰えた。---------------------------------------------------------滑川総合高のOBには、阪神の久保田智之(当時・滑川高)がいる。そして日大三高には、このブログに書いたばかりの故・根本陸夫氏がいた。

2007年5月17日木曜日

山崎武司、一試合3発だ!

もっか2冠の大砲・山崎武司(愛工大名電高)。今日の日ハム戦、田中幸雄の2000本安打を放った記念試合で、3本の本塁打を打って楽天の勝利に大きく貢献、同率4位に浮上した。今日の山崎、4番に座り1打席目は、正田樹(桐生一高)とのトレードで移籍した金澤健人(磯原高)からレフトスタンドへ2点本塁打。2打席目も同じ金沢からレフトスタンドへソロ、そして3打席目は、伊藤剛(日大明誠高)から、またもやレフトスタンドに2点本塁打。まさに乗りに乗っている「中年の星」のような存在だタイミングよく、今日の日刊ゲンダイは山崎のことを大きく取り上げていた。若手選手の育成に熱心であり、挨拶しないとか、声が小さいといった基本的なことに対して、遠慮なく叱責。選手やコーチから人望も厚く、野村克也監督からも一目置かれる存在だそうだ。何やら無骨なイメージも漂うが、趣味はミニカー集めとラジコンカー。ミニカーは現在4000台を収集し、名古屋の自宅には16畳のおもちゃ部屋を作っている。ラジコンカーの同好者は、中日時代のチームメイト・山本昌(日大藤沢高)。二人で苗字からとった「山山杯」という冠をつけたレースも主催している。いいことづくめのように見える山崎、でも心配事がある。それは食事のことだ。「魚や野菜を摂とうと思っても、どうしても肉を真っ先に食べてしまう」。実は、オリックス時代から単身赴任が続いている。自宅は名古屋。一男一女をもうけたが二人とも小学校の高学年。今さら仙台に転校させるのは可哀想だと考えている。だから、今後も単身赴任を続ける覚悟だ。昨日書いた亀井義行や坪井智哉のように、「子供が物心つくまでがんばるぞ!」という目標は、山崎においてはすでに達成できているようだ。

2007年5月15日火曜日

山崎武司、一試合3発だ!

もっか2冠の大砲・山崎武司(愛工大名電高)。今日の日ハム戦、田中幸雄の2000本安打を放った記念試合で、3本の本塁打を打って楽天の勝利に大きく貢献、同率4位に浮上した。今日の山崎、4番に座り1打席目は、正田樹(桐生一高)とのトレードで移籍した金澤健人(磯原高)からレフトスタンドへ2点本塁打。2打席目も同じ金沢からレフトスタンドへソロ、そして3打席目は、伊藤剛(日大明誠高)から、またもやレフトスタンドに2点本塁打。まさに乗りに乗っている「中年の星」のような存在だタイミングよく、今日の日刊ゲンダイは山崎のことを大きく取り上げていた。若手選手の育成に熱心であり、挨拶しないとか、声が小さいといった基本的なことに対して、遠慮なく叱責。選手やコーチから人望も厚く、野村克也監督からも一目置かれる存在だそうだ。何やら無骨なイメージも漂うが、趣味はミニカー集めとラジコンカー。ミニカーは現在4000台を収集し、名古屋の自宅には16畳のおもちゃ部屋を作っている。ラジコンカーの同好者は、中日時代のチームメイト・山本昌(日大藤沢高)。二人で苗字からとった「山山杯」という冠をつけたレースも主催している。いいことづくめのように見える山崎、でも心配事がある。それは食事のことだ。「魚や野菜を摂とうと思っても、どうしても肉を真っ先に食べてしまう」。実は、オリックス時代から単身赴任が続いている。自宅は名古屋。一男一女をもうけたが二人とも小学校の高学年。今さら仙台に転校させるのは可哀想だと考えている。だから、今後も単身赴任を続ける覚悟だ。昨日書いた亀井義行や坪井智哉のように、「子供が物心つくまでがんばるぞ!」という目標は、山崎においてはすでに達成できているようだ。

2007年5月13日日曜日

野球

今季より読売に移籍した小笠原道大
さっそく、自身のニックネームをなぞった「チームガッツ」
を結成したようだ。

メンバーは元日ハムであり、現在は読売の選手の
古城茂幸(中央学院高-国士舘大-日本ハム-読売)、
実松一成(佐賀学園高-日本ハム-読売)、
木村拓也(宮崎南高-日本ハム-広島-読売)の3人。

                 (サンケイスポーツ)

でも、「チームガッツ」。
元祖は別にあった。

そのことを日刊ゲンダイが報じている。
小笠原を徹底的にサポートし、小笠原自身が心底信じきれる
スタッフが日ハムにいたのだという。トレーナーであり、
打撃投手であり...。その面々が元祖「チームガッツ」

それは誰なんだろう?
スタッフの名前を知りたくて調べてみたけど、結局わからな
かった涙ぽろり

小笠原が読売に移籍する直前、多くの新聞は「中日に移籍する
ようだ」と書いていた。それは落合博満監督との師弟関係が強
力だったから。

恒例により「札束攻勢」の読売へ対抗のため一計を案じた落合氏、
結局は敗れたが、日ハムの「チームガッツ」スタッフたち全員を
中日に受け入れることさえも考えたという。

小笠原が読売を選択した理由は金銭面だとか、子供の教育問題を
心配する奥さんの意向だとか、いろんな報道があった。真偽は
どうでもいいけど、今後は元祖「チームガッツ」を恋しくなること
はないのだろうか。他人事ながら、ちょいと気になる。

小笠原道大
高校は千葉・暁星国際高。高校2年の時、夏の千葉大会決勝に進出
したが、勝利し優勝したのは成田高。成田が甲子園に進出した。

この甲子園大会。
成田高は2回戦で、この大会で優勝する天理高に2-3で敗れるが、
後にスターとなる選手が多く出場した大会だった。

イチロー(愛工大名電高・2年)、松井秀喜(星稜高・1年)、
中村紀洋(渋谷高・2年)、北川博敏(大宮東高・3年)etc...

当時話題をさらっていたのは、優勝した天理高・南竜次(元・日本ハム)、
育英高・戎信行(元・ヤクルト)らだった。

2007年5月10日木曜日

楽天-西武はルーキー対決

昨日行われた楽天-西武戦。投手は、楽天・永井怜(東京農大二高-東洋大)と西武・岸孝之(宮城・名取北高-東北学院大)のルーキー対決。結果は永井が5回を投げ自責点3、岸は7回を投げ自責点5と、2人ともパッとしなかったようだ。ゲームのスコアも9-8と大荒れだった。すでに2勝を挙げている永井怜、大学入学当時は「プロ野球のドラフトで指名されるようになるとは思いもしなかった」。國学院大も専修大もセレクションに落ちてしまい、スポーツ推薦ではなく一般の自己推薦で東洋大に入学した経歴をもつ。もともとスタミナに課題があった。でも少しだけ自信を持つようになったのは、2年生の春季リーグ戦。対日本大戦で延長11回をひとりで投げ抜き、那須野巧(駒場学園高、現・横浜)の連勝記録を「10」でストップさせたときだ。一方の岸孝之、こちらは今季すでに3勝を挙げている。名取北高という無名校にいた岸、東北学院大に入学した経緯にはちょっとしたエピソードがある。それは高校3年の夏、宮城県大会1回戦。相手は多賀城高。実はこの高校の選手として、東北学院大・菅井徳雄監督の息子さんが出場していた。せめて息子の最後の試合は応援に行こうと考えた菅井監督、息子のチームを5回ながらノーヒット・ノーランに抑える名取北高の岸という投手を知る契機になる。菅井監督、その足で名取北高を訪ねて岸に「スポーツ推薦でぜひ!」と頼み込んだ。もし、菅井監督が球場に来なかったら、そしてもし名取北高に足を運ぶ偶然が重ならなかったら、西武ライオンズ・岸孝之はいなかったのかもしれない。ちなみに、岸のノーヒット・ノーラン。死球を1つ与えたがために完全試合にはならなかった。その死球、与えた相手は偶然にも菅井監督の息子さんだった。※参考:『アマチュア野球 Vol9』(日刊スポーツ出版社刊)

2007年5月9日水曜日

意外に愉快な男、真中満

ヤクルト・真中満(宇都宮学園高-日本大)という男を、ボクは大いに誤解していた。真面目にコツコツ練習を繰り返す「練習の虫」であり、「イブシ銀」的な存在感は、彼のそういった所作が反映しているものとばかり思っていた。でも、それは事実じゃないことを教えてくれたのは愛読紙の「日刊ゲンダイ」。小見出しからしてスゴイ。「チーム一(いち)の練習嫌い」だ。「大」がつくほどの練習嫌いであり、性格は「超」がつくほどの能天気。昨年、スタメンから外れ「代打屋」に活躍の場を求める崖っぷちにいるはずの真中、まるで悲壮感とか切迫感がない。その能天気ゆえにチームに欠かすこととのできないムードメーカーなんだそうな。今年の沖縄キャンプ、ある日の練習は、午前11時半に自分だけ勝手に切り上げても、平然としている。そしてオープン戦。ひとりだけベンチから外に出て、日焼けを楽しむこともあった。でも真中のスゴイのは、そのあと。突然に代打を告げられると、やおら立ち上がりベンチ手前で2回だけ素振りをすると、打席では簡単に適時二塁打を打つ離れ業を平然とやってしまう。チームメイトでは密かに「天才」と呼ばれているらしい。「卓越した能力をもつ打撃力」というのではない。何も練習をしないのに、試合で結果を出すことがその理由。イチロー(愛工大名電高)やチームメイトの青木宣親(日向高-早稲田大)のように、表だって万人から「天才」と崇められる選手と違い、「密かに」「天才」と呼ばれるのは、いかにも真中らしいと言えるかもしれない。真中、家庭では3児の父である。末っ子は産まれたばかりの、初めての女の子で「かわいいのなんの」(本人談)。そして、その娘のオムツ替えを嬉々としてやっているそうだ。

2007年5月6日日曜日

村田、吉村のアベック弾!

今日の横浜-中日戦。横浜は福岡・東福岡高出身の村田修一(日本大)と吉村裕基が、今季2度目のアベック弾で2連敗中だったチームを救った。村田、吉村がアベック弾 東福岡高出身 最近、プロ野球選手を多く輩出する東福岡高。日本ハムの田中賢介も同校の出身、98年夏は1年生ながら村田と一緒に甲子園に出場した。---------------------------------------------------------村田修一。98年のセンバツと夏、甲子園に出場している。センバツの3回戦では、松坂大輔(現・レッドソックス)を擁する横浜高と対戦、0-3で敗れた。そして夏、1回戦で豊田大谷高に4-6で敗戦。豊田大谷高には、現在ベイスターズでチームメイトの古木克明がいた。吉村裕基。01年センバツで甲子園に出場。2回戦で広陵高、3回戦で近藤一樹投手(現・オリックス)を擁する日大三高に勝利したものの、準々決勝で常総学院高に2-4で敗れた。---------------------------------------------------------そして今日、勝利投手となった土肥義弘(春日部共栄高-プリンスホテル-西武)。高校時代、93年の夏に2年生エースとして甲子園に出場した。準々決勝で川上憲伸(明治大-現・中日)がエースの徳島商高に11-4で勝利。続く準決勝では常総学院高を5-3で破った。常総には、現・日ハムの金子誠がいた。決勝は、兵庫・育英高に2-3で惜敗。育英高の3番打者は、現・ホークスの大村直之がいた。

2007年5月5日土曜日

浦和学院高、なぜか敗退?

【春季県大会 準決勝 大宮県営球場 (07年5月4日)】第1試合 浦和学院高vs富士見高。富士見 000 000 400 =4浦和学 010 000 000 =1試合前のスタメン発表。浦和学院高のスタメン発表の時、スタンドの観客からざわめきが起きた。選手名とともに出身中学をアナウンスするのが恒例だが、ベンチ入りの浦和学院の選手は、東京や神奈川、遠くは北海道出身の選手もいた。いま世の中を騒がせている「特待生制度」。埼玉の私立強豪校の多くは「特待生制度がありました」と申告をしているが、埼玉強豪校の最高峰にいる浦和学院は申告をしていない。だから、スタンドのざわめきを意訳するとこうなる。「そんなに全国から選手を集めておいて、ほんとに特待生制度をやっていないのかよ?」と。埼玉というところ、もともとが公立高びいきの土地柄である。いま話題の特待生問題はその意識に拍車をかける。浦和学院の相手は公立の富士見高。ネット裏に大挙押しかけた高校野球ファンの多くは、富士見の応援に偏っているように見えた。ボクからすれば、個々の学校が特待生制度をやってるかどうかは、まるで興味がない。そんなことより、純粋に高校野球の観戦を楽しみたいし、どうせなら5月下旬に開催される関東大会を勝ち抜ける実力をもった高校に埼玉で優勝してほしいと思う。それなのに今日のゲーム。どうも浦和学院のナインに元気がないように見えた。すっかり前置きが長くなってしまった。試合の詳細は後ほど。

2007年5月3日木曜日

逆転劇の立役者、森野将彦

試合の終了後、大逆転劇の主役、やけに目鼻立ちの整った顔立ちの中日・森野将彦(東海大相模高)がお立ち台に上がった。試合の流れからいって、読売が勝つはずだった。1-1で迎えた8回表に一挙4点を入れたのだから。8回表、読売の攻撃を振り返ると---。二死一・二塁で代打・木村拓也は三遊間をゴロで抜ける左前安打を打つ。二塁走者の小笠原道大は三塁を駆け抜け、本塁に激走。今季、左翼を守る機会の多い森野は懸命に前進。捕球後すぐさま、左足で本塁をブロックしながら待ち受ける捕手・小田幸平を目がけて必死の送球をする。タイミングは微妙だったが、森野の送球がわずかに一塁側に逸れて間一髪の「セーフ」。これで均衡は破れ、なおも鈴木尚広、矢野謙次、高橋由伸の三連打で、このイニングに4点を加点した。中日、スコアが1-5と4点差がついた8回裏。福留孝介の犠飛で1点を返し、なおも一死一・三塁の好機。森野は読売・林昌範投手が投げた真中に入るスライダーを叩き、右翼スタンドに同点となる3点本塁打を放った。勢いに乗る中日は9回、二死一・二塁で、ウッズが前進守備の右中間を越える安打を放ち、サヨナラ勝ちを決めた。----------------------------------------------------------森野将彦。ボクがこの名前を覚えたのは、つい最近のこと。昨年9月16日、山本昌(日大藤沢高)がノーヒットノーランを達成した時だ。この試合、1つの失策さえなければ「完全試合」だった。その唯一の失策、三塁を守っていた森野がやってしまった。その、山本昌から完全試合を奪った選手として、森野の名がボクの記憶に残った。さて今季、キャンプの時から三塁手定着を目指した。が、中村紀洋が中日に育成選手として入団。いきなり現れた強敵に三塁を奪われ、森野は外野に追いやられてしまう。さらに、自分が外野に入った影響で、尊敬する井上一樹(鹿児島商高)が二軍落ちすることになってしまった(←日刊ゲンダイより)。森野、中村紀洋からポジションを奪うためには打撃で勝つしかない。今日のサヨナラ打も、ウッズではなく森野までまわればよかった。

2007年5月1日火曜日

口下手じゃけぇ、長内孝

日刊ゲンダイの伝統企画「あの人は今」に、元・広島カープの長内孝氏(桐蔭学園高)が登場していた。思い出すのは、その温和そうな表情と裏腹に、鋭い打球を放つスラッガーだったということ。93年に現役を引退、05年に広島のコーチを退いた後は、広島市西区に焼鳥屋「野球鳥おさない」を開いている。でも、まだまだ接客には慣れていない様子。客が店を訪れたときの「いらっしゃい」という声も、どこか遠慮がち。------------------------------------------------------日刊ゲンダイの記者がそのことを訊ねると、「口下手じゃけぇ」、そんな言葉が返ってきた。「もともと口下手じゃけぇ、家族からも大丈夫かいな?と心配されました。お客さんにうまいこといえんし、自分でもどうなるんじゃろうなぁってとこがあった。でも稼がにゃいけんけぇ」。どこか心もとない、自信なさげな物言い。実はプロの世界に入ったころも、自信をもてない日々が続いた。とにかく球の速さに驚いた。まるでボールがバットに当たらないのだ。山本浩二(広島商高-法政大)には、「スイングがぶち遅いのぉ、ハエが止まりよる」と、ボロクソに言われたこともある。コーチからは、1日に1000スイングを命じられた。「言われたことを守りんさい」と。その言葉を信じ、長内氏は黙々とバットを振り続けた。-------------------------------------------------------スタメンに定着したのは、入団から8年が経過した83年、加藤英司(PL学園高-松下電器)の病気欠場がきっかけだった。が、それもつかの間、直後にルーキー・小早川毅彦(PL学園高-法政大)が台頭し、再びスタメンを外れる悲哀を経験、「代打屋」に活躍の場を求めた時期もあった。そして、91年。銚子利夫(市立銚子高-法政大)とのトレードにより、大洋(現・横浜に移籍した。もっと活躍できる素材だったかもしれない。「未完の大器」とも言われたが、未完のままに現役を終えた感もある。長内さん、最後に日刊ゲンダイの記者氏に「まだまだ新しい仕事には慣れていないけど、息子が高校時代に焼き鳥屋でアルバイトしとって、この世界では先輩になる。頼りにしとります」といって微笑んだそうだ。